『少し大人に』


 僕がぼんやりと眺めているのは、満開の桜でも、禿げ上がった学長の頭でもなく、無機質な白い天井だった。
 あたりは静寂に包まれ、物音1つ聞こえない。
 こんなところにいるはずじゃないのに……
 ぎゅっと拳を握り締めようとしたが、ぐるぐる巻きにされた包帯に阻まれ、うまく握ることができなかった。
 くそっ!
 自然と涙が頬をつたい、真新しい布団にゆっくりとしみこんでいった。


 少し遅い目覚め、おそまつな朝食、流しに放置された食器、最近慣れ始めた一人暮らしの朝。
 ただ、いつもと違うのは、鏡の中の僕がスーツ姿であること。
 そう、今日は入学式。
 大きな期待と少しばかりの不安を抱えながら大学へとむかう途中で、僕は車にはねられた。


 僕は父が嫌いだった。
 僕にとって父は絶対だった。
 人には無限の可能性があるという。
 しかし、僕にはそれがなかった。
 あたりは闇に覆いつくされ、見えるのはただ一本のレールだけ。
 父が敷いた理想という名のレール。
 そして僕は汽車だった。
 可能性を求めて闇にとびこもうとするたび、父は僕を殴りつけた。
 しかし、そんな僕もこの春大学に合格し、念願の一人暮らしを始めることができた。
 やっと自由になれた!
 自分の好きなサークルに入って、自分の好きなバイトをして、自分の好きなように生きよう。
 ようやくあたりを覆いつくしていた闇がはれようとしていた。
 だが、闇の先はまた闇であった。


 コンコン
 ドアをノックする音が聞こえたかと思うと、誰かが近づいてくるのがわかった。
 僕の顔を覗き込んだ看護婦さんは、驚いたような声をだした。
 「泣いてるの?」
 「悪いですか?」
 僕は看護婦さんをにらみつけた。
 涙越しでよく見えなかったが、まだ初々しい感じが伝わってきた。
 「どこか痛むの?」
 「……」
 「もし良かったらあたしに……」
 「あなたに何がわかるっていうんです!」
 「……ご、ごめんなさい……」
 看護婦さんはそれだけ言い残すと逃げるように去っていった。


 スー、ハー
 一度大きく深呼吸をすると、どうしようもないほどの罪悪感が襲ってきた。
 どうしてあんなこと言ってしまったんだろう……
 彼女は何も悪くない。
 むしろ心配してくれたのに……
 もしもう一度来てくれたなら、その時はちゃんと謝ろう。
 そう思った。


 「うわっ!」
 「きゃっ!」
 「ぐっ……」
 体中に激痛がはしり、僕はうめき声をあげた。
 「大丈夫?」
 「え?」
 目の前にはさっきの看護婦さんがいた。
 「なんだか、うなされていたみたいだけど……」
 どうやら僕は眠ってしまっていたらしい。
 そういえば、何か夢を見ていたような気もする。
 「あの……さっきはごめんなさいね……なんにも知らないくせに、でしゃばったりして……」
 寝起きで霧のかかったような頭が、この一言で一気に覚醒した。
 「いや、その、僕の方こそ怒鳴っちゃって、ホントにすいませんでした。」
 「良かった〜。もう口きいてもらえないかと思っちゃった。」
 そう言うと看護婦さんはにっこりと笑った。
 その笑顔があまりにも澄んでいたせいか、いつのまにか僕は自分のことを話しだしていた。


 看護婦さんは何も言わずに、最後まで聞いてくれた。
 「……そう……でも、あたしにはうらやましいな。」
 「うらやましい?僕が?」
 看護婦さんの言葉は僕にとってかなり意外だった。
 他の人を、家庭を、うらやましいと思っていたのは僕の方だった。
 「さっき君のことを電話した時もね、君のお父さん、あわてた声で『すぐ行く!』って。君のことすごく心配してたわよ。」
 「父が……」
 僕が押し黙ると、看護婦さんはふと窓の外を見て言った。
 「あたしにはね、父も母もいないの。」
 「えっ?」
 ドタドタドタ……
 その時、廊下を駆けてくる音が聞こえた。
 「ご両親みえたみたいだから、あたし、もう行くね。」
 「あ、あの!」
 「おい、大丈夫なのか!」
 彼女を呼び止める声は、父の声によってかき消されてしまった。


 僕はレールの上を走らされていたんじゃない。
 走ってたんだ。
 ホントは2本の足があるのに、車輪しかないと思い込んで……
 全てを父のせいにして……
 自分で考えることを放棄して……
 父の不器用な愛情に気付いていなかった。
 いや、気付かないふりをして、甘えていただけなのかもしれない。
 ずっとずっと両親の愛情に包まれて育ってきた。
 僕は恵まれていたのだ。
 でも、彼女は……
 僕とほとんど年は変わらないはずなのに、とても大人びて見えた。
 その代償として満たされない心を抱えているはずなのに、あんなに澄んだ笑顔をしている。
 今度は僕が支えてあげたい。
 その澄んだ笑顔がいつか壊れてしまわないように。
 でも、今はまだ無理だ。
 もう少しだけ待っていてほしい。
 ちゃんと自分の足で歩けるようになった時。
 彼女の笑顔を守れるような男になった時。
 その時、必ず告白しにこよう。
 それこそが、生まれて初めて自分で決めた目標だった。


 ポカッ
 「おい、聞いてんのか?」
 包帯を巻いていない部分を小突く父の拳、以前より嫌じゃなかった。











あとがき

実はこれ、とあるところに投稿したのですが、2000字以内ということで、かなり削りました。
というよりも相当ムチャな削り方をしたので、特に前半部分が駆け足になってしまい、ちょっと残念です。
削る前の文章を残しておけば良かったのですが、頭が足りないもので、上書きして消してしまいました(泣)

親のありがたみがようやくわかるようになってきた今日この頃。
その思いを小説に乗せてみたのですが、伝わったでしょうか。
ご自分の両親について考えるきっかけにでもなってくれれば幸いです。






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