ラストクリスマス



第1話

 白いベッドに白いカーテン。白いテーブルに白い花瓶。
 壁も白くて天井も白い。ついでに言うと食器も白い。
 残念ながら床までは白ではないが、明るい色なのは確かだ。
 自分が知る限りのごくごく普通の病院だ。
 建設されてからすでに二十年以上は建っているので全部が全部完全な白というわけではない。
 しかし、それでも清潔感を感じさせるのがやはり白という色なのだろう。
 ではその白という色をより一層感じさせる色とは何だろうか。
 それは当然ながら黒だ。

「す、すまねぇな」

 相木和人は目の前のベッドで横になる黒い物体……相木光秀に呆れた目線を送っていた。
 『じょりじょりします』と言わんばかりの黒く尖った髭が顔全体を覆っている。
 それはすでに揉み上げとの境界が判別できず、どこからが髪の毛でどこからが髭なのかが分からない。
 普通の人ならば髪と髭はそもそも質感が違うので、見た目で区別くらいはできるはずなのだが……どうもこの 男には適用できないようだ。
 ついでに言うと、髭の下に隠れている顔自体も黒い。
 太陽の下で仕事をするようなことはほとんどないのだから、これは生まれつきなのだろう。
 一時期、こんな父親を持って自分の将来をいろんな意味で深く考えたりもしてしまった。
 これは和人が母親似であったために、多分大丈夫と自分に言い聞かせて納得していた。

「まさかこの俺があれしきの物を持つだけでこうなるとは……」
「いい歳してあんなもん持つからだよ」

 ため息をつきながら、ベッドの傍らの棚に荷物をのせる。
 一週間分の着替えと頼まれていた暇つぶし用の本十冊である。

「小山さんは簡単な荷物を整理してから明日にくるってさ」
「おうおう。会ったら『あんまり役に立てなくてすいませんでした』と伝えといてくれ」
「明日来るんだから、自分で言えばいいじゃん」
「そんな恥ずかしいことを言えと?」
「代わりに言うこっちの方が恥ずかしいよ」
「残念だ……」

 光秀はしょんぼりするが、あまりあてにならないというのは和人が良く知っている。
 この男は立ち直りが早い……というか、深く物事を考えない。
 悪く言えば能天気。良く言っても能天気。
 取り柄といえばおそらくは明るいことくらいだろう。
 こんな男が病院にお世話になっている理由は病気などではなく、ぎっくり腰である。
 古くからの友人である小山秋雄が引っ越すということで手伝いに行っていたのだ。
 小山はもともと独身であり荷物の量が少ないことから、業者を雇わずに作業をしていた。
 当然ながら中には本だけを詰め込んだ非常に重いダンボール箱もあった。
 その大きな箱を自慢げに光秀が持ったとき、『ごきっ』という生々しい音とともに彼はその場で崩れ去った。
 医者からの診断結果はぎっくり腰と右足中指の捻挫。退院は早くとも二週間先だとか。
 可哀想なことに、今は年末。治りが遅ければ正月を病院で迎えるという情けない状況になりかねない。
 中年親父がそんな状態になったと聞いたとき……和人はため息と同時に涙が出そうになった。
 それはさておき。

「一応店のほうは閉めてきたけど?」
「おお、なかなか良い判断ではないか」
「良い判断も何も、店に誰もいないんだからそりゃ閉めるよ」
「うむうむ、良識のある人間に成ってくれて父は大変嬉しいぞ」
「はいはい」

 入院しても変わらぬ偉そうな口調は放置しておくことにする。
 相木光秀は自営業者である。
 自宅の一階がそれで内容としては古本全般を扱っている。
 古本と言っても明治やら大正やらの歴史的価値のある本ではなく、主に小説を中心としたものである。
 真面目な哲学的な小説から空想小説、中には題名すら公言できないような如何わしい小説もあったりする。
 そんなものの買取・販売をしているところである。
 もっとも、最近では棚の隅にCDやらが増えてきているが、これは和人が飽きてしまったものたちである。
 今日は引越しの手伝いということで、店番は和人がしていた。
 一息つき、とりあえず問題となりそうな話題を出すことにした。

「それより、秋菜の面談は俺が行ったほうがいいのか?」
「あーあーあーすっかり忘れてたな……」
「確か冬休みの一週間前って言ってたから、明後日だよな?」
「うむ。内容はお前も大体分かってるだろう。適当に誤魔化しておいてくれ」
「あんまり受験の話としたくないんだけどね……」

 苦笑しながら和人は言った。
 和人の実妹である相木秋菜は中学三年生の受験生である。
 すでに十二月の中旬であるため、そろそろ受験校の選択をしなければならない。
 家から普通に通える高校は全部で六校あり、レベルとしてはどれも似たり寄ったり。
 つまり、どれに行っても大した違いはないのだが……これはこれで選びにくい。

「お前のときも随分悩んだもんだ。結局はサイコロで決めたがな」
「あの時は推薦されてたからどこでも良かったんだよ」

 当時のことは思い出すだけでも笑えてくる。
 受験願いの締め切りまで残り三日を切ったにも関わらず、クラスの八割、学年の半数の生徒が希望校を迷っていたからだ。
 偏差値や入学金、距離や学校自体の評価など、どれもこれも違いがない。
 別に難しくはないので、普通に受験すればまず合格するレベルなのだが、問題はそこではなかった。
 受験というものがある以上、定員というものが必ず存在するのだ。
 これは一つの学校を千人が受験しようとも、合格できる人数は限られていることになる。
 つまり、下手をすれば自分の選んだ学校がとんでもない受験者数になり、落ちるはずが無いのに落ちる可能性が出てくるのだ。
 こうして締め切りギリギリだというのに、大半の生徒が駆け引きをする事態が起こったのだ。
 学校側としては下手に助言を出すと痛い目を見ると分かっているのか『自分の行きたいところを最優先』と言って何の対処もしなかった。
 まあこればかりは対処しようもないだろうが。
 解決策と言えば、学校そのものを移転させることくらいだろう。
 ちなみに、そのときの和人は成績としては上位に位置しており、推薦確実であったため、そんなに考える必要はなかったが。

「とりあえず、あの子の意思を尊重だ。ダメならサイコロだ」
「俺が言うのも何だが、人生をサイコロで決めるのはどうかと思うぞ」
「うむ、まったくだ」

 息子の一言に光秀は肩を竦めた。




次の人へのお題:『リード』、『抵抗』、『毛玉』




第2話

 和人は病院を出るとスーパーに寄って夕飯の買い物を済ませた。
 光秀が営んでいる古本屋だけでは、家族4人が生活できる収入にはならないため、和人が生まれる前から母親の未希は働いていた。
 というよりも、結婚しても仕事を辞めなかったという方が正しいだろう。
 共働きのため家事は二人で分担して行っていたが、子供が成長すると手伝わせるようになり、今では家族四人がそれぞれの仕事を持っている。
 夕飯を作るのは曜日で決まっていて、今日は和人が当番だった。

 家に帰ると秋菜はリビングでお菓子を食べながら、テレビを見ていた。
「ただいま」
「お帰り」
 テレビから目を離さずに、秋菜が言った。
 いつものようにまだ制服を着ていて、何をするのも面倒だと言わんばかりの姿だ。
 時折笑い声をあげる以外はじっとテレビを見つめている。
 小さい頃からテレビをあまり見ない和人は、よく疲れないなと思う。

 動き出したと思ったらちょうどCMになったところで、新しいお菓子を取りに行くためらしい。
 和人は秋菜の手からそのお菓子を取り上げた。
「そろそろ夕飯の時間だから、お菓子は終わり」
「ケチ」
「ケチで結構」
 秋菜は和人を睨むと、お菓子をあきらめてテレビに向かった。
「秋菜、お前受験生だろ?今の成績のままだと高校行けないぞ」
「これ終わったら勉強するよ」
 相変わらず目線はテレビから離さないまま、やる気のない声で言った。
 和人はこれ以上言っても無駄だと思い、夕飯を作ることにした。
 今日は肉じゃがと焼きナスとわかめの味噌汁、そして白飯。

 あとは盛り付けだけだ、というところで、和人は秋菜に声をかけた。
「秋菜、もう少しでご飯出来るから着替えて来い」
「はーい」
 テレビがちょうど終わったところなのか、秋菜は素直にテレビを消して着替えに行った。

 秋菜がリビングに戻ってくると、秋菜が着ている服を見て和人が言った。
「その服、もう着なくてもいいんじゃないか?」
「えー、これ気に入ってるんだよ」
毛玉がいっぱいついてるじゃないか。家で着る分には構わないけど」
「うん、家で着る。あれ、お母さんまだ帰ってきてないじゃん」
「今日遅くなるから先に食べててって言ってた」
「ふうん」

「いただきます」
「いただきます」
「お父さん元気だった?」
「相変わらずだったよ」
「入院したら、少しは大人しくなると思ってたんだけどな」
「そういえば、明後日の面談は俺が行くことになったから」
「え、なんで?」
「親父は入院してるし、おふくろは仕事休めないって前から言ってただろ」
「そっか」
「志望校は決まってるのか?」
「まだ。でも、唯ちゃんと同じ高校行くって約束したから」
「じゃあ唯ちゃんと同じ高校行けるように、頑張って勉強しろよ」
 唯ちゃんとは秋菜が学校で一番仲のいい友達だ。
 家もわりと近いらしく、前に和人が家にいる時に遊びにきたこともある。

「ごちそうさま。ちゃんと自分のお皿は洗っておけよ」
 和人が先に食べ終え、秋菜に言った。
「分かってます〜」

 和人が食器を洗い終えてテレビをつけると、秋菜の声が飛んできた。
「ダメ!私がテレビ見るの。お兄ちゃんは勉強してなさい」
「はいはい」
 和人は立場が逆だと思いながらも特に見たい番組があった訳でもないので、すごすごと退散した。


「お兄ちゃん、ちょっといい?」
 和人が自分の部屋でレポートを書いていると、秋菜が入って来た。
「ん、なんだ?」
「分かんないところがあるんだけど…」
 秋菜はそう言って問題集のある問題を指差した。
「…ここは、電圧と電流が分かって抵抗が分からないから、この公式に当てはめて…」
「うん…」
「電圧÷電流だから、6ボルト÷0.8アンペア。はい、いくつ?」
「えっと・・・・・・7.5!」
「正解。単位をつけると?」
「7.5オームだ。ありがと〜」
「どういたしまして」
 笑顔の妹を可愛いと思ってしまったり、今の時期にこんな問題も解けないとは…という思いが混じり、複雑な表情で部屋を出て行く秋菜を見送った。

「ただいま」
「お帰り〜」
 母親の未希が帰ってきて、秋菜が出迎えた。
「今日の夕飯は何かな?肉じゃがじゃない。うん、おいしい」
 未希が味見をしながら言った。
「今日はお兄ちゃんが作ったんだよ」
 いつものように、秋菜が味噌汁などを温めなおして未希の前に出す。
「いただきます。…そうだ。うちにリードってあったっけ?」
「リード?あったと思うけど。なんで急に?」
「会社の人が欲しいとか言ってたから、うちに前使ってたのがあるけどって言ったら、欲しいって言われたから。とりあえず、見せてあげようと思って」
「へー。はい、これ」
 秋菜はしまってあったリードを未希に渡した。
「ありがとう。そういえば、お父さんどうだった?」
「私はお見舞いに行ってないよ」
「そうなの?和人は行った?」
「うん、相変わらずだったって言ってたよ」
「あの人は入院してもあまり変わらないでしょうね。明日仕事休んで、お見舞い行こうかしら」
「じゃあ私も行く。明日は学校休みだから」
「なんで学校休みなの?」
「明日と明後日は面談があるから休みなんだって」
「そう。最近家族みんなそろってないから、和人も行けたらいいね」
「お兄ちゃんに聞いてみるね」
 秋菜はそう言って和人の部屋に向かった。

 秋菜が和人の部屋に行くと、和人は机に向かっていた。
「お兄ちゃん、明日暇?」
「明日?暇だけど」
 和人が秋菜の方を向いて言った。
「お母さんと私でお父さんのお見舞い行くんだけど、お兄ちゃんも行かない?久しぶりに家族みんなそろうから」
「そうだな。行こうか。明日は小山さんも来るって」
「そうなんだ。お母さんに言ってくるね」
「あれ、秋菜。明日学校じゃないのか?」
「明日と明後日は面談があるから、学校休みだよ」
「なら、いいけど」

「お母さん、明日は小山さんも来るって。それで、お兄ちゃんも行くって言ってた」
「あら、そうなの。小山さんに会うのも久しぶりね。明日が楽しみだわ」




次の人へのお題:『葉』、『本』、『眼鏡』




第3話

 ピーポー、ピーポー、ピーポー
「あら、パトカー?」
 未希はそう言って、車を道路のわきに寄せた。
 和人が音のする方を振り返りながら、助手席であいづちをうった
「そうだね。なんかあったのかな?」
「はぁ〜2人ともなんにも知らないのね」
 その直後に、後部座席から秋菜のあきれたといった感じの声がした。
「昨日の夜、この近くで死体が見つかったのよ。しかも犯人はまだ捕まってないって」
「さすがテレビっ子。情報が早いな」
「うるさい!」
 秋菜はポカッと和人の後頭部を叩いた。
 それを横目でちらっと見て、未希は言った。
「でも、それがホントなら怖い話よね。2人とも外へ出る時は気をつけなさいよ」
「もう外だけどね〜」
 秋菜が軽口をたたいた。
 それは無視して、和人がひとつの可能性を口にした。
「でも、サイレン鳴らしてるってことは、犯人、見つかったのかもね」
「だといいけど」
 未希は再び車を発進させた。
 それほど道は混んでいない。
 病院までそう時間はかからないはずだ。


 コンコン
「へい、らっしゃい」
 中から威勢の良い声が聞こえた。
 ガラッと病室のドアをスライドさせると、秋菜が怒ったように言った。
「お父さん、ここはうちじゃないのよ!」
「ああ、そうだった。つい癖でな」
 古屋が『へい、らっしゃい』というのもおかしな話なのだが……
 光秀によると、どこぞのマイナーな小説家の本にそういう古本屋が出てくるらしい。
 題名は『古本屋の心意気』。
 光秀はそれをバイブルとして、古本屋を経営している。
 だから儲からないという話も……
 それはともかく、幸いなことに、この部屋は8人部屋にもかかわらず、入院患者は光秀ただひとりだ。
 良いのか悪いのか、この病院はあまり繁盛していないらしい。
 そのおかげで和人たちは恥ずかしい思いをせずにすんだ。
「あなた、小山さんはまだみえてないの?」
「ああ、まだだ」
「午前中に顔を出すって言ってたから、そろそろじゃない?」
 昨日、小山から電話を受けたのは和人だ。
 時計はちょうど11時をさしている。
 普通に考えれば、和人の考えは間違っていない。
 しかし、実際は間違っていたのだ。


 話題が尽きてきたというのに、小山はいっこうに現れる気配がない。
 いつしか全員が窓の外に目をむけていた。
 しかし、病室の窓から見えるのは、1枚、また1枚と落ちていく枯だけだった。
「ねえ、テレビつけてもいい?」
 秋菜の提案を未希は意外にもすんなり受け入れた。
 これは異例であると言わざるを得ない。
 なぜならベッド脇に備え付けのテレビは有料だからである。
 普段ならわざわざこんなところでお金を払ってテレビを見させる未希ではない。
 しかし、さすがに未希も枯葉を数えるのに飽きたらしい。
 未希からお金を受け取った秋菜は早速テレビのスイッチを入れた。
 平日のお昼前、たいした番組はやっていない。
 しかし、ピッ、ピッとチャンネルを変えていく秋菜の手が、あるチャンネルでピタッと止まった。
『……昨夜未明、新玉市で遺体が見つかった事件ですが……』
「ほら、さっき言ってたのこれだよ」
 秋菜の言葉に和人と未希がうなずいた。
 光秀が何のことか尋ねようとした時、若い女性のニュースキャスターが衝撃的な事実を告げた。
『……先ほど遺体の身元が判明しました。亡くなったのは……』
 テレビ画面のど真ん中に映し出されたのは、黒ぶちの眼鏡をかけて、かすかに微笑んでいる男性の顔写真だった。
 その後のニュースキャスターの言葉は、誰の耳にも入らなかった。
 しかし、ある意味、それを聞く必要はなかったとも言える。
 この場にいる全員がその男性をよく知っていたからだ。
 その男性は見まごうことなく、小山秋雄、その人だった。
 あまりの衝撃に誰ひとりとして声が出せず、嫌な沈黙がその場を支配した。




次の人へのお題:『寒い』、『引越し』、『冗談』




第4話

 それは警察にとっては非常に簡単な仕事に属するのだろう。
 容疑者は四人。その内の一人は事件のあった当日に入院したため、アリバイは完璧。
 残るは三人。その三人ともが被害者の小山秋雄の引越しの手伝いをしていたと言う。
 小山を含めた四人は、荷物の整理が終わった後、近くの居酒屋で飲んでいたと、証言も得られている。
 つまり、小山が最後に別れた人物が犯人……ということである。

「そんな馬鹿なことがあってたまるか!!!!!」

 光秀は怒りの形相で目の前の男を睨みつけた。
 当然だ。友人が殺人を犯したなどと、何の根拠もなく言われる筋合いなどないからだ。
 平然かつ事務的な言い方は友人を侮辱しているとしか思えなかったからだ。


 小山の訃報を知った直後、彼の携帯電話が鳴った。
 それも連続して三件。昨日、小山の引越しを手伝った連中であった。
 全員が慌てながら大声で「ニュースを見ろ」や「小山が死んだ」などと電話の向こうで叫んでいた。
 携帯電話であるにも関わらず、その内容が周囲の人間に細かく伝わっていたのだから、どれほどのものか容易に想像できるだろう。
 とは言うものの、内容自体の中身は無いようなものだった。
 現状でできることなど、全員が集まることくらいしかできないのだから。
 集合は当然ながら光秀のいる病院となった。
 もともと全員光秀の店の常連であるため、集合するのは光秀のところが常であった。
 光秀の家に近い病院であるため、遅くとも三十分以内には全員集まる。
 そう考えて待ったのだが、長針が一回りしても誰一人として部屋の扉を開いていない。
 時間が経つにつれて慌しい雰囲気は薄れるものの、知り合いが死んだという事実はやはり辛いものがある。
 そして……その五分後、扉をノックしたのはスーツの上に外套を羽織った見知らぬ男二人だった。
 身長はどちらも和人よりもやや低めで、一人が細身でもう一人が小太り体型だった。
 ほっそりとした男は仲瀬、小太りの男は佐々木と名乗った。
 彼らは外套を脱ぎ、裏向きに折り畳んで一礼した。
 外は随分と寒いようだ。二人とも唇がやや紫に変色していた。
 細身の男……仲瀬が一歩前に出て言った。

「新玉北署のものです。相木光秀さん、昨日亡くなられた小山秋雄さんについてお伺いしたいのですが」
「伺うも何も、俺もさっき知ったばかりだ」
「昨日、小山さんと一緒に行動をしていたのはあなたと、秋元徹さん、八田茂明さん、古賀多賀子さんの三人でよろしいですか?」
「俺が怪我するまではそうだった」
「では誰かが手伝いに来たりした、ということは聞いていませんか?」
「聞いてない」

 光秀はむっとした表情で仲瀬の質問に応える。
 どうも仲瀬の変に事務的な聞き方が気に入らないのだろう。
 しかし、そんなことでいちいち堪忍袋の尾を刺激していては店を経営する資格などあるまい。
 と言っても、私情を挟みまくるのが彼の特権だったりするのだが。
 それはさておき。

「なんだ、俺たちを疑っても無駄だ。そんな殺人なんてする馬鹿なんていねぇし、そもそも動機がない」
「そうですか」
「小山だって他人に恨まれるような奴じゃない」
「いえ、今回はほぼ間違いなく恨みによる犯行でしょう」
「なにぃ?」

 ちらりと佐々木が仲瀬へと目配せするが、仲瀬は軽く首を振った。

「小山秋雄がどのように殺害されたかはまだ知らないでしょう?」
「それがどうした」
「鈍器で顔を何十回も殴られていました。肉が抉れており、所持品類でしか本人かどうか特定できませんでした」

 仲瀬の言葉に一瞬時間が止まった。
 冗談にしてはあまりにも間が悪い。
 だが、それはあまりにも生々しく、客観的な言葉遣いが現実味を漂わせていた。

「昨日、彼らは夜に居酒屋へ二時間ほど居たそうですが、その際に何か口論のようなものがあったと聞いています」
「…………」
「司法解剖の結果が出るまでは詳しくは言えませんが、殺害されたのは居酒屋を出てすぐのようです」

 にやりと得意気な顔を……挑発的な笑みを零しながら言った。

「時間帯等総合して……十中八九、犯人は三人の中にいますよ」




次の人へのお題:『三者面談』、『先生』、『クリスマス』




第5話

 光秀はまだ自分の友人が人殺しをしたとは思えなかった。
 そして、あの人のいい小山さんが誰かに恨まれているとも信じられなかった。
 しかし、仲瀬の言葉に嘘があるとも思えなかった。
 光秀の頭がこんがらがっている中、秋菜の三者面談の日を迎えた。


「結構出来てたでしょ〜」
 三者面談を終えてそのまま光秀の入院している病院に向かう途中、秋菜が自慢そうな表情で言った。
 二学期の成績のことを言っているようだ。
「家だとあんまり勉強してないように見えたけどな」
 和人が言った。
「学校で授業をちゃんと聞いてたら出来るんだよ」
「ふ〜ん。高校はちゃんと入れるように、これからは家でも勉強しないとな。って言ってもあと一ヶ月ちょっとしかないけど…」
「じゃあ、あと一ヶ月頑張るよ。あっ、クリスマスケーキ売ってるよ。うちはいつケーキ食べる?」
「イブは明後日だろ?まだいいんじゃないか?」
「明後日、絶対買ってね」
「はいはい」


 コンコン
「……はい」
 いつもの威勢の良い声ではなく、暗い声が返ってきた。
 ドアを開けて一番初めに目に付いたのは、ベッドに横になり考え込んでいる様子の光秀だった。
 いつも笑っていて、人生が楽しくてたまらないと存在が語っていたはずなのに、今の彼は正にその正反対だった。
 友人の死、そして友人の殺人疑惑が精神的にかなりダメージを与えているようだった。
「お父さん?」
「…………」
 秋菜の言葉から数秒の後にいつもの彼が戻ってきた。
「ん?あ、なんだおまえらか。元気にしてたか?」
 いつもの表情で、いつもの調子で光秀が言った。
「元気だよ。親父は元気か?」
 和人が呆れたように答えた。
「見ての通り元気だぞ!そういえば、俺の方が病人なんだよな。ハハハハ。ところで、今日が三者面談の日だったよな?」
「そうだよ」
「志望校はどうした?」
「『柏木さんと同じ高校に行きたい』って言ったら『そうか』としか言われなかったよ」
「柏木さんって秋菜が唯ちゃんって呼んでる子か?」
「うん」
「割と簡単に済んだんだな」
先生もたくさんの生徒に志望校を決めさせるのに疲れたんじゃない?」
「それもそうかもな」
「二学期の成績ね、一学期よりもあがったんだよ〜」
 秋菜がとても嬉しそうに言った。
「おーおー、よく頑張ったな。入試までその調子で頑張れよ」
「うん!」


 和人は事件の捜査がどれくらいまで進んでいるのか、気になっていた。
 そして、光秀と一緒に小山さんの引越しの手伝いをした三人が訪ねてきたのかどうか。
 光秀のところにも少しは情報がきていると思っていたが、部屋に入ってきた光秀の様子などから事件については聞かれたくないというオーラが部屋に満ちていた。
 それでもいつかは明かされるのだろう、真実を。
 知りたくなくても目を背けられない現実。
 光秀は今それを実感しているのだろうか。




次の人へのお題:『ゴム』、『事件』、『年賀状』




第6話

「先輩、コーヒー、どうぞ」
「ああ、すまんな」
 仲瀬は佐々木からコーヒーを受け取るとゴクリとひと口飲んだ。
 にがいな……と仲瀬は思った。
「それにしてもクリスマスイブだっていうのに、こんなむさくるしい所で仕事だなんて、やってられませんよね」
 相変わらずのん気な奴だと仲瀬は思ったが、口にはださなかった。
 小山秋雄殺しの犯人は未だ逮捕されていない。
 事件当初は、簡単な事件だと誰もが思っていた。
 遺体の解剖によってはじきだされた小山秋雄の死亡推定時刻は、12月20日の午後8:00〜9:30。
 そして、小山秋雄と他3人が居酒屋を出たのが午後8:30ごろであるということは、裏がとれている。
 だとすれば、小山秋雄が殺されたのは午後8:30〜9:30の1時間にしぼられる。
 また、顔が原型をとどめないくらいぐしゃぐしゃにされていたことを考えれば、動機は怨恨の線でほぼ間違いないだろう。
 さらに、居酒屋で小山秋雄とその連れの3人が言い争っている姿が目撃されていて、その3人に死亡推定時刻のアリバイがないとなれば、早期解決して当然の事件である。
「それがどうしてこんなに長引くんだ」
 仲瀬は頭をかきむしった。
「決定的な証拠がないんスよね。それに、どいつもこいつも筋の通った証言をしやがる」
 佐々木の言う通り、この事件で犯人を示す証拠は今のところ全く見つかっていない。
 そして、3人の証言に食い違いは全くない。
 しかも、よくよく話を聞いてみると、居酒屋で言い争っていた内容は、そこの勘定を誰が払うかといった程度のものだったらしい。
 だとすれば、この3人のうちの誰かが殺したとなると、動機は別にあるということになる。
 しかし、3人の口から、さらに小山をよく知る光秀の口からも、それらしき証言は得られていない。
 こうなってくると犯人は他にいるような気さえしてくる。
「よし、現場百辺とも言うしな。もう一度現場を見てくるか。おまえは殺害現場に行ってこい。俺は小山の家へ行ってくる」
「え〜あの公園、何度調べたと思ってんスか。もう何も出てきませんって。」
 小山が殺されていたのは居酒屋近くの公園である。
 この公園は明かりがあまりなく、人通りが少ない。
 そのせいもあって、犯行時の目撃情報は全く寄せられていない。
「つべこべ言わず言ってこい!!何か見つけたらすぐに連絡しろよ」
 仲瀬は佐々木の返事を待たずに、さっさと刑事課を後にした。


 まだダンボールがところどころに置かれている小山の新居で、仲瀬は頭を抱えていた。
 十数年刑事を続けている仲瀬なら、経験上、怪しい場所、探すべき場所はすぐにわかる。
 しかし、それは普通に何年も住み続けた家の場合だ。
 こんな引っ越してきたばかりの部屋にいったい何の手がかりがあるというのか。
 生活感の全くない部屋のどこをどう探したら良いのか見当もつかない。
 途方にくれた仲瀬はそばのベッドに座り、タバコを吸おうと胸ポケットを探った。
 しかし、タバコはあったがライターを忘れてきたらしい。
 仲瀬はどこかにライターがないかと辺りを見回した。
 ふと目についたのが、ベッド脇に置かれていた黒いハンドバック。
 仲瀬はそれを手に取り、中身を物色し始めた。
 小説、ポケットティッシュ、封筒、年賀状の束……
 その次に封の開いたタバコと100円ライターが出てきた。
 仲瀬は満足そうな笑みを浮かべると、くわえていたタバコに早速火をつけた。
 そういえば、そろそろ年賀状を出さないと、元旦に着かないんだよな。
 タバコをふかしながら、仲瀬は小山が書いたであろう年賀状に目を通した。
 この年賀状が届くことはないのかと思うと、仲瀬は少し寂しくなった。
 タバコの灰が落ちそうになったころ、さっき取り出したものをバックに戻し始めた仲瀬だったが、ひとつ気になるものがあった。
 それは二つ折りにされ、軽くセロハンテープでとめてある封筒だった。
 テープをはがした跡がないということは、鑑識は中まで調べなかったのだろう。
 仲瀬は半ば興味本位で、その封筒を開けてみることにした。
 出てきたのは女性が髪をとめる時に使う小さなゴムだった。


「で、今日の予定は、アキ?」
 クリスマスイブであっても学校は容赦なくある。
 あいにく二学期が終わるのはあさってだ。
 学校の玄関で靴を履き替えながら、秋菜は友達の舞子としゃべっていた。
「え?あたし?別に……家でケーキ食べるくらいかな。マイは?」
「ンフフ〜」
「何よ、その笑いは?」
「相変わらず、鈍いわね〜。彼、どこに連れてってくれるのかな〜」
「ええ〜!?マイって彼氏いたんだ!?」
 秋菜は少なからずショックを受けた。
「いつ?いつから彼氏いるの?」
「昨日ゲーセンで知り合って意気投合しちゃってさ〜」
「昨日?はぁ〜ん、クリスマス前だもんね」
 クリスマス前には即席カップルがいっぱいできると、昨日テレビでやっていたのを秋菜は思い出した。
「なによ〜。あ、ユイ、あんたはどうなの?確か前から彼氏いるとか言ってたよね?」
 いつの間にか隣で下駄箱を開けていた唯に舞子が尋ねた。
「あたし、別れたから」
『ええっ?』
 秋菜と舞子の声が見事なハーモニーを奏で、数秒の沈黙がその場を支配したが、先にたちなおったのは舞子だった。
「それで最近元気なかったのか。まあまあいいじゃない。アキなんてテレビが恋人なんだから」
「なによ、それ〜。そのうち白馬に乗った王子様が……」
「はいはい。それじゃ、あたし急ぐから。じゃ〜ね〜」
「ちょ、ちょっと〜」
 賑やかな舞子が去ってしまうと、秋菜と唯の間にちょっぴり気まずい空気が流れ始めた。
 そんな空気を振り払うように秋菜が言った。
「じゃあさ、今日、私の家に来る?一緒にテレビでも見てパァ〜っと……」
「ゴメン。そんな気分じゃないから。あたし、先帰るね」
「あ、うん……」
 本当に最近唯の元気がない。
 でも、彼氏とうまくいってなかったのなら、しょうがないのかも。
 そんなことを考えながら、秋菜は唯の後ろ姿をぼんやりと見つめていた。
 そして、唯の姿が見えなくなってから、秋菜はゆっくりと歩き出した。
 王子様……か……
 さっきは冗談で口にしたものの、本当にそんな人が現れないかと、心のどこかで待ち望んでいる。
 秋菜も普通の女の子なのだ。
 即席でも彼氏のいる舞子がうらやましいと思う。
「はぁ〜」
 秋菜が軽くためいきをついたそのとき、
「秋菜」
 秋菜の背後から、秋菜を呼ぶ声が聞こえた。
 もしかして私の王子様?などと淡い期待をこめて振り返った秋菜を待っていたのは、よく見慣れた顔だった。
「大学の帰りなんだけど、ちょうど下校時刻だったからさ……って、あれ?なんか浮かない顔してない?」
「はぁ〜」
 秋菜はもう一度深くためいきをついた。
 そんな簡単に王子様が現れるはずもない。
「最近ここらへんも物騒になったからな。おふくろも言ってたけど、気をつけろよ」
 秋菜は隣を歩く和人に目をやった。
「ん?何か顔についてるか?」
 まあ王子様と呼ぶにはちょっと役不足だけど、今日だけ特別に私の王子様にしてあげよう。
 秋菜はそう思った。
「お、おい、秋菜。腕を組むのはやめろって」
「よ〜し、このままケーキ買いに行こう。あ、そうそう、私前から欲しかったバッグがあるんだよね〜」
「そういうことは親父かおふくろか、あるいはサンタさんに言ってくれ」
 2人はそのまま繁華街へと歩いていった。
 2人を知らない人が見たら、きっと仲の良い恋人に見えたことだろう。




次の人へのお題:『特別』、『解決』、『犯人』




第7話

 腕を組む。
 この一言で想像がつく、ごく自然な行為。
 街を歩けば必ずどこぞのカップルの一組や二組がしているものだ。
 特にクリスマスシーズンともなればそんな光景は当たり前のように遍在する。
 立ち止まって繁華街を見渡すだけで十数組のカップルたちが腕を組んでいる。
 カップルはそれぞれ学生服を着ていたり普段着を着ていたり。
 あるいは真ん中にどでかいハートマークが描かれたお揃いの服を着た、先頭に『バ』がつくカップルもいたりする。
 和人と秋菜はそれぞれ大学生と中学生。
 やや歳は離れているが、周囲は十分カップルとして認識するだろう。
 しかもクリスマスイヴの繁華街で腕を組んでいればそう考えるのが普通である。
 だが……二人は実の兄妹だった。

『秋菜……ごめん。もう俺、我慢できそうにない』
『お兄ちゃん……』

 二人は立ち止まり、互いを瞳を見据えた。
 もっとも身近な異性でありながら、何があろうとも結ばれてはならない運命。
 例えクリスマスイヴに起こると言われる奇跡を願ったとしても、それは叶わない。
 禁忌。触れてはいけないもの。成し遂げられてはならないもの。
 それに……彼らは手を伸ばしつつあった。
 和人は未だ十五に満たない実の妹の両肩に手をおいた。

『ダメだよ……わたしたち……』

 言葉では抵抗しているものの、心は望んでいた。
 もう誰にも止められなかった。

『秋菜……好きだ……』

 涙を溜めた瞳で上目遣いをする妹に和人は一種の情欲を感じていた。
 もしここが繁華街という人が溢れる場所でなければ、彼は文字通りの獣になっていただろう。
 それが和人に残された唯一の理性。
 ゆっくりと近づいてくる兄の顔に秋菜は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
 そして、お互いが触れ合うのを感じた…………頭と頭で。

「ふぎゃーーーーーーーーー」

 まるで尻尾を踏まれた猫のごとく悲鳴を上げる秋菜。
 道端であるにも関わらず、悶絶してその場に額を抑えながら座り込む。
 さらに追撃のごとく、俯いた頭の上に一冊のノートが上手にバランスよく置かれた。
 ノートの表紙には『私とお兄ちゃんの超極秘クリスマス計画(実践編)』と書かれてある。

「うう……ああ…おっ……おーう……」

 道に迷った日本語のできない外国人のごとく何かを言っている秋菜。
 それは当然だと和人は思った。
 四年前の六月。友人と頭突き対決をして完敗したあの日から。
 研究に研究を重ね、実戦に実戦を重ねた努力の結晶。
 高校時代の一つの青春を注ぎ込んだ魂の頭突きだ。
 それが痛くないはずがない。
 秋菜はおそらくトラックと真正面から衝突したほどの衝撃を受けたに違いない。
 ついでに、あれほど無防備にしていたのだから、精神的衝撃も計り知れない。

「うう……ひどい……」

 痛みがようやく和らいだのか、涙目で睨んでくるが、全然怖くない。
 しかも攻撃した張本人である和人は、攻撃したことに関して何の痛痒も感じていないため、睨んでも何の効果も無い。
 それもそうだ。和人からしてみれば、妹にちょっとばかりお仕置きした程度としか思っていない。
 逆に言えば、秋菜も本気で怒っているわけではない。
 言うなれば、兄妹の日常生活の戯れがそこにあった。

「本当に真面目に授業聞いてるのか?」
「だってー。あたしだってクリスマスイヴくらい恋人ほしーよー」
「そんなインスタント恋人を俺に求めるなよ」

 額を擦りながら立ち上がる秋菜。
 当然ながら文句がありそうな顔だ。

「だってーマシな男って、お兄ちゃんくらいしかいないんだもん」
「ブラコンだとあんまり好かれないぞ」
「うう……痛いところつかないでよ」

 果たしてこれは『ブラコン』と呼べる範疇なのだろうか甚だ疑問ではあるが、とりあえず再び歩き始めた。

「うーあのタイミングでされるとは……実の妹ながら不覚」

 痛む額を気にしながら、先ほどの攻撃について考察する。
 そんな妹を見ながら和人は微笑した。

「ふ……お前にあれはかわせないな」
「むぅ〜どうしてあんな距離から強烈な頭突きが……はっ!」
「気づいたか?」
「ま、ま、まさか!!」
「零距離射程からの頭突きは誰も予想出来ないからな。これは武器になる」
「ぜ、零式がもう制式採用されてたなんて……」

 秋菜は愕然と、勝ち誇る兄を見上げる。

「はは、お兄様。是非この妹めにもその技を!」
「却下」
「がーん」


 四件目のケーキ屋を回ったところで和人と秋菜は揃って溜息をついた。
 まさかここまでクリスマスイヴというのが特別すぎる日だとは思いもよらなかった。
 ケーキが一つも残っていないのだ。
 苺のショートからモンブラン、ミルフィーユ、シフォンケーキ。
 挙句の果てにはシュークリームやらプリンまでもが完売御礼。
 どうして予約していなかったのかと、心の中で自分の母親に愚痴ってしまう。

「どうしてどこにも売ってないんだろう……」
「ちょっとこれは考えなかったな」

 四件も回ればさすがに気分はどんよりしてくる。
 それにこの人だかりの中(カップル多)を歩くのだから余計に疲れが出てしまう。

「秋菜、次はどこにあるんだ?」
「えっと……南口のあたりにまだあったと思う」
「売り切れてると思うか?」
「うん。あたしが知ってるのは全部有名店だから」

 歩くこと数分。シャッターは閉まってはいないが、入る前から雰囲気的に何も残ってはいなさそうだった。
 一応中に入ってみるが、ショーケースはただいま掃除中。あるのは付近とエタノール入りのスプレーだ。
 さすがにスプレーを指して「これはケーキですか?」と問うような二人ではない。

「う〜ん、困ったな」
「困ったね」

 ともに腕を組んで悩んでみるが、何の案も出てこない。
 一応店の中に商品は少ないながらも並んである。
 饅頭、煎餅、羊羹と言った和のお菓子ではあるのだが。
 洋菓子であるのは精々ワッフルくらいだ。

「ワッフルか……ケーキの代わりにならないか?」
「代わりも何も、何の解決にもなってないと思う」
「う〜ん、ワッフル」

 和人は手にとってワッフルを眺めるが、良い案など出てくるはずもない。
 ワッフルは蜂蜜や生クリームをつけて食すと結構美味しいのだが、やはり目的がケーキである以上、変更は避けたい。

「ねぇ、そんなに食べたかったら買ったら?」
「いや、そういうわけじゃない」
「その割には結構真剣に見てた」

 そんなに真剣にワッフルを見つめていたのだろうかと自問自答。
 しかし、ワッフルを買ったところでやはり何の解決にもならないと和人自身も思う。

「ケーキ、家で作るとかはできないか?」
「やだよ……こんな日まであたしを働かせないでよ」
「う〜ん、ワッフル」



 澱んだ空気がそこに充満してあった。
 この部屋に閉じこもり暗闇だけを見つめてすでに四日目である。
 開閉されていない窓には早くも埃が目立ち始め、空家特有の臭いが発生しつつあった。
 カーテンは窓からの光を完全に遮断し、部屋に時間的変化をもたらすことは無い。
 暖房器具が全く使われていないにも関わらず部屋の空気は生暖かい。
 部屋の中にいるたった一人の呼吸と体温だけで暖められているからだ。
 そう、部屋の隅に凍えるように布団に丸まっている一人の人間。
 彼の名は八田茂明。四十を過ぎてしばらくする初老の男である。
 ほんの数日前……正確には部屋に閉じこもり始めた四日前を境に彼は変わった。
 いや、彼の性格からすれば変わるしかなかったのだろう。
 気弱かつ自責の念が強い彼にとって、あの日の出来事はあまりにも衝撃が大きすぎたのだ。
 思い出すだけでも体全体に寒気が襲い掛かってくる。
 忘れようとしても目と心に焼きついたあの光景は二度と忘れることなど出来まい。

「小山……小山……俺は……なんてことを……」

 うわ言のように繰り返す。
 だが、それだけでは何も進まないということは知っている。
 知っていても……行動できないだけだ。
 あの日、彼は一つの決意をしていた。
 小山秋雄への報復だった。理由は長い間八田は小山に蔑まれ続けていたことである。
 中学からの付き合いである小山とはよく気が合った。
 定期的に連絡を取り合い、共通の趣味である釣りや古典文学についてよく話し合った。
 だが、それゆえにか互いの欠点に関しても深く知る仲でもあった。
 仲間内でも特に温和と知られていた小山であったが、一度切れると誰にも止められないのが小山の大きな欠点であった。
 それは年々付き合いが長くなればなるほど小山の切れるという行為が増え始めた。
 小山自身も気づいていたのか、度々自分に落ち着けと暗示をかけたりしていた。
 それとて不十分で、気が緩むようなこと……例えば酒を飲んだりするときには酷く悪酔いをした。
 そして、事あるごとに彼は八田を罵倒した。
 八田はもとより普通の人に比べると動きは鈍いし頭もそう良くはない。
 小山にとってその鈍さは腹ただしいものであったのだろう。
 彼の誹謗中傷は徐々にエスカレートしていくが、しかしながら八田は何もできなかった。
 それから……何もできない自分と自分を否定する小山とを天秤にかけた結果、彼は小山と文字通り縁を切ることを決意した。
 最後に報復処置をするということも含めて。
 だが……

「なんであいつが……なんであいつが小山を……!!」

 居酒屋を出て全員と別れたあと、八田は懐に閉まっていた小さなナイフを取り出し、小山を追って足早に歩き出した。
 数分も経たずに八田は小山を発見した。公園でぼんやりと空を眺めていた。
 様子を伺い、ナイフを握り締め、殺意を抑え込んだ。
 公園出口の茂みに隠れ、時を待った。何の警戒もしていない小山が横を通り過ぎるのを待つため。
 しかし、彼は公園を出ることは無かった。
 八田の目の前で、彼は銀に光る長いパイプで何度も何度も頭を殴られつづけ、命を絶たれたからだ。
 ホラー映画のような……しかしあまりにも生々しい音とともに視界に入ってくるその光景は……凄惨であった。
 殴り終わったあとはこれでもかと言わんばかりにパイプの先端で顔面を突き、肉片がそこら中に散らばった。
 その残虐たる作業を悦楽の表情で行っていた相手の顔を八田は知っていた。
 作業自体は五分もかかってはいなかった。
 だが、あの異常な光景を目にしている人間としては、どれほどの長い時間であったことか。
 そして……心から八田は感じた。

「俺は……あいつと同じことをしようとしていた……」

 暗闇の中、彼は自分の両手を見る。
 何も見えない。だが、何か生温いものが手にべったりとしている感触がする。
 そうだ。俺もあいつも同罪だ。ただどちらが早かったかというだけなのだ。
 八田茂明は己の罪に再び恐怖を感じた。



 繁華街は広い。
 とりあえず歩いて探すことくらいしかケーキを発見する方法はないのだから、愚痴りながらでも歩くしかない。
 だが、すでに五件も回っているのだ。一つの繁華街にあるケーキ屋の数として考えると多いくらいだ。
 どう考えてもうケーキ屋はないだろうし、あっても目的のケーキは残ってはいないだろう。
 こんな寒いなか、一体何をやっているのだろうと心の片隅で思ってしまう。

「さてと、どうしようか?」

 やや疲れを見せていた和人の言葉は何かを促していた。
 長年妹をしている秋菜にとってそれを理解するのは簡単だった。
 だが、こんな特別な日であるだけに、意地になっている自分もいる。

「うーうー、もうちょっと探したいよ」
「でもな……随分遅くなってるし、お前も学校の帰りで疲れてるんじゃないのか?」

 図星だ。受験シーズン真っ只中の秋菜にとって、学校とは苦痛の同義語であった。
 けれど、実を言えば秋菜は明日から冬休みである。
 もちろん学校では補習はあるのだが、参加自体は任意であるため、休んでもそれほど関係はない。
 それが唯一の救いではあるのだが、今の疲れが無くなることはないわけで。

「うう……今年は残念だけどケーキ諦める」
「しょうがないか。ちょっと遅いけど、明日また買いに来るか?」

 どうにも納得できないのだろうが、秋菜もそれにしぶしぶ同意した。
 しかしこの素直な少女が簡単に考えを切り替えられるはずもなく、少し歩くたびに「う〜う〜」と唸ってばかりであった。
 この妹の姿を見て、どうしたものかと考える和人の前に見知った顔が現れた。
 いかにも「私は名刑事の補佐です」と言わんばかりの顔つきをした男、小太り刑事佐々木であった。
 何やら大変御荷物が多いらしく、両手に持ち両脇に抱えて道の端をゆっくりと歩いていた。

「お兄ちゃん……あれ」

 秋菜も気づいたのか、人差し指を向けて和人に示す。
 和人は頷き、秋菜とともに佐々木のもとへ向かった。

「おや、これは相木さんの御兄妹さんじゃないっスか」

 目線を感じたのか、前から歩いてくる二人組の男女に対して佐々木は言った。
 彼は荷物を大量に抱えているが、慣れているのか気楽そうに話しかけてきた。
 しかしながら、そんなことはどうでもいい和人と秋菜。
 ごった返す通行人を押しのけ、二人は佐々木の前に立ち塞がった。
 そして一言、声を合わせて……いっせいのーで。

犯人はお前だ!!』




次の人へのお題:『社会』、『撹拌』、『阻害』




第8話

 ある部屋の一室。
 八田は卵を撹拌していた。
 どうやら卵焼きを作るらしい。
 彼の出来る料理は卵焼きと目玉焼きのみ。
 しかし目玉焼きは黄身がいつも壊れてしまうため、あまり作らない。
 したがって、得意料理は卵焼きということになるだろう。

 卵焼きを作り終え、食べ終わるとやることもなく布団にもぐりこむ。
 だんだんと罪悪感が体を支配していく。
 自分の手で小山を殺したわけではない。
 でももしタイミングが少しでもずれれば自分があいつと同じことをしていたのだろう。
 ただ怖くて怖くて震えていることしか出来ない自分。
 時間が経つにつれ恐怖心は肥大していった。
 彼はあることを思いついた。
 罪を償えばきっと恐怖からも逃れられるだろう。
 罪を償う、警察に捕まればいいんだ。
 でも、俺は人殺しをした訳ではない。
 でも、人殺しと同じ罪だ。
 警察に話したら楽になれるはず。
ピッポッパッ…
プルルルルルル、プルルルルルル、ガチャ…
『もしもしこちら新玉北署です』
「もしもし八田という者ですが……」
『どういうご用件でしょう?』
「どうすれば警察に捕まることができますか?」
『えっと、どういう意味ですか?』
「俺は小山を殺した奴と同罪なんです。でも俺は人殺しをしてません」
『小山さんとは小山秋雄さんですよね?』
「はい」
『今担当の者が外出しているので、詳しい事はよく分からないのですが』
 八田は直接あって話した方がいいなと思った。
「今からそちらに伺います」
『分かりました。お待ちしております』
 八田は簡単に身支度を済ませると、部屋を出た。
 四日ぶりの屋外ははとっくに日は沈み、星が瞬いていた。



ラーララーミー ミーレド シードレ ドーシラ
 小山の新居で物色していた仲瀬の携帯電話が鳴った。
 電話は署からのものだった。
「もしもし…」
『もしもし、高木です』
「高木か。どうした?」
 高木とは仲瀬の後輩で同じ刑事課に勤めている。
 しかし今は担当している事件が違う。
『今、署に八田さんという方からの電話がありまして…』
「なんだって?八田!?」
『はい。どうやら小山秋雄さんの殺人事件についてのことらしいです』
「それで?」
『自分はあいつと同罪だ。小山を殺したのは自分ではない。などと言っていました』
「はぁ?どういう意味だ?」
『さぁ、自分もよく分かりません。だからこうやって電話したんですよ』
「そうか」
『今から新玉北署にいらっしゃるそうなので、署まで戻ってもらえますか?』
「分かった。すぐ戻る」
『お願いします。では、失礼します』
 電話を切ると、仲瀬は急いでバックの中身を元通りに戻し、小山の家を出た。
 そして、移動中に電話をかけた。
 部下の佐々木に今の電話の内容を伝えるため。



「へっ?」
 佐々木の口からは気の抜けた声が出た。
「その荷物はケーキですよね?」
 和人が佐々木の抱えている大量の荷物を指差して言った。
「ああ、これ?君の言ったとおりケーキだけど、それが何か?」
「佐々木さんがそんなにたくさん買わなければ、あたしたちもケーキ買えたのに…」
 秋菜が今にも泣きそうなほど、弱々しい声で言った。
「ま、待ってくれ。全く話が見えない…」
「順を追って話すとですね。佐々木さんは今日この辺りのケーキ屋を何店か回り、ケーキを大量に買いましたね?そのため、僕たちが回ったケーキ屋のケーキが売り切れでした。因みに残っていたのは、ワッフルと和菓子だけです。よって、ケーキ屋のケーキを売り切れにした犯人は佐々木さん、あなたなんですよ」
 和人が状況を説明したが、佐々木はそれでは納得できないようだ。
「そんなこと言われても……俺は今から相木さんに、つまり君達のお父さんにお見舞いに持っていってあげようと思ってケーキを買いにいった。それで何店か回ったらおいしそうなケーキがたくさん売ってたんスよ。だから、買わずにはいられなくて…」
 和人と秋菜は呆然と佐々木の事を見ていた。
「……ケーキ、好きなんですね」
 秋菜がポツリと言った。
「そうなんだよ〜。ケーキを見ているだけで幸せでね〜」
 佐々木が嬉しそうに言った。
「でも仕事中にそんなことをしてていいんですか?」
 和人が言うと佐々木の表情が変わった。
「人が幸せに浸っているところを阻害しないでほしいっスよ」
「すいません。ところで、事件はどうなっていますか?」
 真面目な話に移ると佐々木は顔を『刑事の顔』に変えて話し始めた。
「君達も知ってると思うけど、容疑者は三人に絞られている。三人ともアリバイはないが証言に食い違いはなく、犯人を示す証拠がないから正直なところあまり進展はないっス」
「そうですか…頑張ってくださいね」
「ありがとう。気をつけて帰るんだよ」
佐々木がそう言うと、秋菜がつぶやくように言った。
「……ケーキ」
「まだ諦めてなかったのか」
 和人はため息をついた。
「ケーキ食べたいんスか?」
「食べたい!クリスマスなんだもん!!」
「これでよかったら…」
 佐々木はそう言って持っていた箱の一つを秋菜に手渡した。
「えっ、いいんですか?」
「どうせこんなたくさんは食べられないだろうし」
 佐々木は苦笑しているが、秋菜は素直に喜んでいた。
「やった〜!ありがとうございます」
「ありがとうございます」
 和人もお礼を言った。
 丁度その時佐々木の携帯電話が鳴った。
プルル、プルル、プル…
「もしもし…はい、はい……えっ……分かりました。すぐ署の方に戻ります」
「どうしたんですか?」
 和人が尋ねた。
「なんか八田から電話があったらしいっス。とりあえずすぐに署に戻らないと…じゃあ」
 佐々木はそう言い残すと、走って行ってしまった。
「警察の人って大変そうだね…」
「うん、もうこんな時間なのにまだまだ働くみたいだったし」
「でも警察の人があそこまで頑張ってくれてるから、日本は比較的治安がいいんだよ。海外に比べて」
「今の社会に警察は絶対的に必要なんだろうね」
「うん」
「……帰るか。ケーキももらえたことだし」
「そうだよ。ケーキ食べれるよ!」
 しばらく佐々木の走り去った方向をボーっと見ていたが、佐々木からもらったケーキを手土産に帰路に着いた。




次の人へのお題:『ひらがな』、『チョコ』、『容姿』




最終話

「ケ〜キ、ケ〜キ♪」
「あ〜もう、足も痛いし、腰も痛いよ」
 秋菜ははしゃいでいたが、和人は歩きながら愚痴をもらしていた。
 これも歳の差だろうか。
 しかし、長かった旅も今無事に終わろうとしていた。
「はぁ〜ようやく我が家に到着だな」
「あれ?家の前に誰かいるみたい……」
 秋菜がそう言うと、その人影はゆっくりと近づいてきた。
「アキちゃん……」
「え?唯ちゃん?」
 暗くてはっきりとはわからないが、唯の顔には血色がないように見える。
 かなり長い時間待っていたのだろうか。
「どうしたの、こんな時間に?いつから待ってたの?」
 矢継ぎ早に質問をする秋菜を和人が制した。
「とりあえず中に入ってもらったら?今開けるから」
 和人はポケットから鍵を取り出し、ドアの方へと向かった。
「そうね。じゃあ、とりあえず中に……」
 秋菜が最後まで言い終わらないうちに、唯は首を横に振っていた。
「いいの、これを渡したかっただけだから」
 紙袋の中に、綺麗にラッピングされた大きめの箱が入っている。
「これは……」
「クリスマスプレゼント」
 秋菜は思いもよらないことに驚いた。
「えっ?いや、あの、だって、私、プレゼントなんて用意してないし……」
「気にしないで。私が勝手にあげようと思ったんだから」
「でも……」
 秋菜はしぶっていたが、唯は半ば強引に秋菜に手渡した。
「あ、でも、ひとつだけ約束して。開けるのは明日の朝にするって」
「え?」
「だって、クリスマスプレゼントはクリスマスの朝に枕元にあるものでしょ?」
「あ、そういうことね。わかった。約束する」
「じゃあ、私、帰るね」
「ホントにあがってかない?」
「うん、もう遅いから」
 そう言って自分の家の方角へ歩き始めた唯の背中を見て、秋菜はまだお礼も言っていなかったことに気がついた。
「あ、プレゼントありがとう。今度なんかお返しするね」
 すると唯は立ち止まって振り返り、にっこりと笑った。
 そして、また自分の家の方へと歩き出した。
 そういえば、唯の笑顔、久しぶりに見たような気がする……
 秋菜がそんなことを考えていると、家の中の電気をつけ終わった和人が外へ出てきた。
「あれ、唯ちゃんは?」
「帰っちゃった……」
「ホントに?送ってかなくて大丈夫かな」
「そんなに遠くないから大丈夫だと思うけど……」
 その時ピューと北風がふいた。
「さむっ……とにかく中に入ろう」
 和人とともに秋菜は家の中へと入っていった。


「先輩、八田から電話があったんですって!?」
 佐々木は新玉北署の刑事課に飛び込むと同時に大声を出した。
 しかし、そこに仲瀬の姿はなく、代わりに話しかけてきたのは高木だった。
「うわ、佐々木、何なんだ、その両手に抱えた荷物は?」
「そんなことより高木さん、仲瀬さんはどこスか?」
「取調室だが……って、おい。そのまま行くのかよ!?」
 高木にたしなめられ、ケーキを机に放り出すと、佐々木は取調室へと走った。
「先輩!!」
 勢いよくドアを開けた佐々木に、仲瀬と八田は驚いた様子だった。
「佐々木……もっと静かに入ってこい……」
 軽く佐々木を睨んだ後、仲瀬は八田に向きなおった。
「それじゃあ、話してもらいましょうか、八田さん」
 佐々木は部屋の隅の机に向かい、調書をとり始めた。

………………

「何?じゃあ、犯人を見たって言うのか!?」
 八田の話にさすがの仲瀬も声が大きくなった。
「仲瀬さん、落ち着くスよ」
 まさか佐々木にたしなめられるとは思わなかったが、仲瀬は声のトーンを一段おとした。
「で、犯人は誰なんだ?」
 ゴクリと唾を飲み込んでから八田は犯人の名前を口にした。
「……古賀です。小山を殺したのは古賀多賀子です」
「佐々木!!古賀多賀子をすぐに連れて来い!!」
「はい!!」
 佐々木は取調室を勢いよく飛び出していった。
 仲瀬は引き続き八田の話を聞いていたが、動機やその他、有益な情報は得られなかった。
 八田は自分も同罪だから逮捕してくれと言った。
 しかし、殺意はあったにしろ、実質的に八田は何もしていない。
 逮捕などできようはずもない。
 懺悔の言葉を並べ立てる八田に、仲瀬が興味を失いつつあったその時、佐々木が戻ってきて、仲瀬に耳打ちをした。
「古賀を連れてきました。隣の部屋で待たせてあります」


 佐々木は仲瀬が出て行った後、八田の相手を任された。
 しかし、もはや自分を逮捕してくれとしか言わなくなった八田とは会話にもならない。
 これは医者に診せるしかないかなと佐々木は思った。
 それにしても、古賀は自白するだろうか。
 目撃者がいるとは言ってもたったひとり。
 しかも、決定的な証拠が出てきたわけではない。
 ベテランの仲瀬さんでも時間がかかるのではないか。
 そんなふうに思っていた佐々木の予想を裏切り、仲瀬は30分とたたないうちに戻ってきた。
「先輩……」
「代われ」
 仲瀬はひと言だけ発すると、佐々木のどいた椅子に腰かけ、八田と向かいあった。
 その渋い表情は何を意味するのか、佐々木の疑問はすぐに解けることになる。
「八田さん、あなたが見たことをもう一度、詳しく教えていただけませんか?」
 しかし、八田はうつむいて逮捕、逮捕とブツブツ言っているだけである。

 ダン!!

 仲瀬が思いっきり机をたたくと、八田はビクッとして顔をあげた。
「いいですか、もう一度言います。あなたが見たことを詳しく話してください」
「え?詳しくもなにもさっき全てお話しましたけど……」
 仲瀬は自分を落ち着かせるためにか、ふうとひと息ついた。
「では質問を変えましょう。どうしてあなたは小山さんを殺したのを古賀さんだと思ったんですか?」
「え?だって、それは……実際この目で見たからです」
「そこです。実際に見たとあなたはおっしゃるが、あの公園は明かりがほとんどなく、真っ暗に近かったのではありませんか?」
「そ、それは……」
 八田は言葉に詰まり、うつむいた。
 その時の状況を思い出そうと、頭をフル回転させているに違いない。
「そうだ、思い出しました。はっきりと顔が見えたわけではありませんが、髪が長いことはわかりました」
「それだけで、その人が古賀さんだと?」
「いえ、小山と何か話をしてたんです。声は聞こえませんでしたが、親しげに見えました。それに、飲み屋の方向から走ってきましたし、あれは古賀に間違いないです」
 仲瀬は腕組みをして言った。
「しかし、それはありえんのですよ。古賀の話が本当なら、古賀には完璧なアリバイがあるんです」
 仲瀬が古賀から聞きだした話によると、古賀はその飲み会の後、全員と別れるフリをして、秋元徹とすぐに合流し、遅くまで一緒にいたということだ。
 つまり、古賀と秋元は不倫関係にあり、その日もタクシーをひろって、ホテルへと直行したらしい。
 2人とも家庭のある身だということを考えれば、今まで隠していたとしても不思議ではない。
 今急いで秋元やタクシー会社、ホテルなどに連絡をして裏をとらせているところだが、仲瀬は古賀が嘘をついているようには見えなかった。
「そんな……あれが古賀じゃなかった?だとしたら、あいつは一体誰なんだ……」
 自分の方が聞きたいくらいだと仲瀬は、八田のつぶやきを聞いて思った。
 どうやら初動捜査の段階で間違っていたらしい。
 これで捜査を一からやりなおさなければならないのが確定した。
 仲瀬は半ば迷宮入りを覚悟した。
 もはや手がかりは何ひとつないのだ。
 いや、待てよ……
 その時、仲瀬の頭にふと浮かんだのは、小山の部屋で見つけた小さなゴムだった。


「ムー、ムー」
 秋菜はベッドの中で変なうめき声をあげながらもがき苦しんでいた。
 ケーキを食べ過ぎてお腹が痛くなったわけではない。
 確かに、佐々木がくれたケーキに加え、秋菜と和人が家に着いた後、すぐに帰ってきた未希もちょうど得意先からもらったケーキを持って帰ってきたので、結局、秋菜は3つもたいらげることに成功した。
 一番おいしかったのはチョコレートケーキ。
 このケーキは佐々木がくれた方のケーキで、この辺では有名なお店、『たんれい』のものだ。
 容姿端麗の端麗だと思うが、店名がひらがななのが愛らしく、ケーキ屋っぽくないため、逆に覚えやすい。
 しかし、秋菜がもがき苦しんでいるのは、ケーキとは関係ない。
 クリスマスイブだというのに家族の誰一人として光秀の見舞いに行かなかったこととも関係ない。
 眠れないのだ。
 原因はひとつ。
 唯からもらったプレゼント、あれが気になって気になって仕方がないせいである。
 秋菜はちらりと時計を見た。
 蛍光塗料の塗られた長針と短針が0時を少し回ったことを示している。
 秋菜は布団にくるまってゴロンと寝返りをうった。

………………

「んあ〜もう我慢できない」
 秋菜はガバッと跳ね起きると机の電気をつけた。
 パッと照らし出された机の上に唯のプレゼントがある。
「ゴメン、唯ちゃん。ちょっと早いけど、日付が変わったから許してね」
 秋菜は紙袋からちょっと大きめの箱を取り出し、丁寧に包装をはがしていった。
「え、ホントに?」
 秋菜はあまりの衝撃に思わず声を出してしまった。
 それは、前から欲しい欲しいと思っていたバッグだった。
 ギュッとバッグを抱きしめ、心の中で何度も唯にお礼を言った。
 ひとしきりそのバックを眺め回して満たされた気持ちになった時、ふとそのバッグの値段を思い出した。
 本来、それは中学生のお小遣いで買うにはちょっと高すぎる代物なのだ。
 いくらクリスマスでも、気前が良すぎるのではないか。
 しかも、よく考えてみれば今まで唯からクリスマスプレゼントをもらったことなどないし、秋菜があげたことももちろんない。
 どうして今回に限ってプレゼントをくれたのだろうか。
 秋菜がそんな疑問を抱いた時、バッグの入っていた箱の底に封筒があることに気がついた。
 今までバッグに夢中になりすぎて気がつかなかったのだ。
 秋菜は封筒を開けてみた。
 予想通り、そこには手紙が入っていた。
 これを読めばどうして唯がプレゼントをくれたのかわかるに違いない。
 秋菜は早速、読み始めた。
 しかし、読み進めるにしたがって秋菜の手は震えだし、読み終わると同時にものすごい勢いで携帯電話を手にとった。
 プルルルル、プルルルル……
 出ない。
 秋菜は携帯を放り投げるとドタドタ音が響くのもかまわず、1階へ駆け下りた。
「秋菜、階段を降りる時は……って、おい、秋菜」
 キッチンで寝る前の牛乳を飲んでいた和人が廊下へ出てきたが、秋菜はサンダルをつっかけて外へと出て行った。
「おい、そんな格好で……」
 後ろで和人が何か叫んでいたが、秋菜には全く聞こえていなかった。
 サンダルは走りにくかったが、とにかく走った。
 唯の家にはすぐに着いた。
 息を整えることもせず、秋菜は玄関のチャイムを連打した。
「おい、秋菜、やめろ!!何やってるんだ!!」
 急いで追いかけてきた和人が秋菜を止めた。
「離して!!離してよ!!」
 パン!!
 暴れる秋菜に手を焼いた和人は、秋菜の頬に平手打ちをくらわせた。
 秋菜はその場に崩れ落ちた。
「いったいどうしたっていうんだ?」
「唯ちゃんが……唯ちゃんが……」
 秋菜の大粒の涙が、アスファルトをぬらしていった。
 やがて、その涙が大きなシミになり、和人と秋菜の体が冷え切ってしまっても、唯の家からは誰も出てくる気配がなかった。



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 アキちゃんへ

 私のクリスマスプレゼント気にいってくれた?
 前からこのバッグ欲しいって言ってたよね。
 もし、ご両親からのプレゼントとかぶっちゃったらごめんね。
 でも、何で急にプレゼントなんかって思ったでしょ?
 それは、ずっと仲良くしてもらったお礼と迷惑をかけちゃったお詫び。
 それに、最後のお願いを聞いてもらうための貢ぎ物。

 私ね、つきあってる人がいるって言ってたでしょ?
 誰にも言ってなかったけど、出会い系の携帯サイトで知り合った人。
 これも、誰にも言わなかったけど、彼の名前は小山秋雄。
 アキちゃんのお父さんの友達なんだってね。
 最近まで全然知らなかった。
 彼とは歳は離れてたけど、優しい人でね、すぐに好きになっちゃったの。
 こんなに人を好きになったのは初めてだった。
 そして、私が彼を大好きなように、彼も私を大好きなんだと思ってた。
 でも、それは勝手な思い込みだったみたい……

 あの日の放課後、私は彼のアパートへ行った。
 久しぶりに会えると思って、ウキウキしてた。
 期末テストとか高校入試の模擬試験があったから、しばらく会わないようにしてたの。
 でも、久しぶりに行った彼のアパートはからっぽだった。
 すぐに携帯に電話をかけたけど、電話番号もメールアドレスも変わってた。
 私は放心状態で街をさまよっていたみたい。
 どれくらいそうしていたかわからないけど、突然彼の声が聞こえたような気がしたの。
 初めは空耳かと思ったけど、違った。
 居酒屋の前で確かに彼は何人かと話してた。
 私はそれをそっと隠れて見てた。
 しばらくすると、彼らは解散して、彼はひとりで近くの公園へ入っていった。
 私はしばらく悩んだ。
 私に黙って引っ越して、私に黙って携帯を変えた。
 普通に考えれば、別れたがっているに決まってる。
 でも、何かの間違いであってほしい。
 何か他の理由があって私に連絡しなかったんじゃないか。
 入試前だから気をつかってくれたんじゃないか。
 そんな可能性を捨てきれなかった私は、既に公園の中に消えていった彼を追っていった。
 私に気付いた彼はひどく驚いていた。
 私は彼を問い詰めた。
 でも、彼はひと言「別れよう」、そう言っただけだった。
 理由は何も言ってくれなかった。
 引き止める私に「さよなら」と言って、彼は背中をむけた。
 彼が行ってしまう……
 私が覚えているのはそこまで。
 気がつくと私は血みどろの鉄パイプをもっていて、彼は私のそばに倒れてた。
 何でそんなことをしたのか、自分でもよくわからない。
 その時は自分をおいて去ろうとする彼が憎かったのかもしれない。
 行かないでほしいという思いが変なふうに爆発してしまったのかもしれない。
 彼を殺せばずっと一緒にいられると思ったのかもしれない。
 でも、冷静になった後は恐怖感でいっぱいだった。
 人を殺してしまったんだから当然よね。
 でも、さらに時間がたって恐怖感が薄れるにつれて、どうしようもなく寂しさが襲ってきたの。
 彼はもうこの世にはいない。
 でも、彼に会いたい。
 私は気付いたの。
 今でも彼を愛してることに。
 この気持ちはどうにも止められないの。
 だから私は、彼のもとへ行きます。
 この聖なる夜が私の罪を浄化して、彼が私を許してくれることを信じて。

 アキちゃん、私の最後のお願いです。
 この手紙を警察の人にも見せてあげてください。
 他の誰かが間違って逮捕されたりするの嫌だから。
 最後に変なこと頼んでごめんね。
 アキちゃんと、アキちゃんの家族にまで迷惑かけてごめんね。
 そして、一緒に高校行けなくてごめんね。
 今まで本当にありがとう。

 Dear My Best Friend .

                                     柏木 唯
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 秋菜は病院の屋上にいた。
 クリスマスの空は青く澄みきっていた。
 結局、唯は死んだ。
 秋菜が彼女の手紙を読んだ時、既に唯は廃ビルの屋上からその身を投げ出していた。
 秋菜は空を見上げながら、光秀の話を思い出していた。

 秋菜は唯の遺言どおり彼女の手紙を警察に届け、いろいろ事情徴収を受けた後、警察とともに光秀のもとへ来た。
 光秀は全てを聞いた後、小山は唯のことを最期まで好きだったのではないか、そう言った。
 仲瀬が小山のバッグから見つけた小さなゴム、あれは秋菜が確認し、唯のものだということがわかった。
 光秀は以前、同じような封筒から小山が母の形見を大事そうに取り出すのを見たことがある。
 そういうしまい方をするということは、小山がそのゴムをとても大切にしていたということではないだろうか。
 しかし、小山が唯を最期まで好きだったとするなら、どうして別れようなどと言ったのだろうか。
 そのことについても、光秀にはひとつだけ心当たりがあった。
 数年前、光秀が小山と2人で酒を飲んでいた時、小山が大変な借金を抱え込んでしまったという話を始めた。
 誰かの保証人になっていたことが原因だと。
 毎月利息分を支払うだけでも今までの貯金を取り崩さなければならない。
 そして、最後に笑いながら、だからここの勘定をおごれと小山は言った。
 それを聞いて、光秀は勘定をおごらせるための作り話だと思っていた。
 小山からそれ以来、その話を聞くこともなかった。
 しかし、もしそれが本当だとすれば、家賃の安いアパートに移り住もうとしたのは、お金が尽きてきたせいではないか。
 このままなら確実に破産するであろう自分に唯を幸せにする自信はない、小山はそう思って唯と別れようとしたのではないか。
 まだ若い唯にはいくらでも別の出会いがあるだろう。
 唯と別れようとしたのは、小山なりの優しさだったのではないか。
 そんなふうに光秀は話してくれた。

 光秀の仮定は現段階では正しいのかどうかわからない。
 小山と唯は2人の関係を徹底的に秘密にしていた。
 あまりにも歳の離れた2人だから、それを認めてくれる人はそうそういないと思ったのかもしれない。
 だからこそ、警察も唯とのつながりを見つけられなかった。
 今となってはわからないことだが、そうやって隠すことが2人の恋愛をより燃えあがらせる一因となったのかもしれない。
 秋菜は光秀の仮定は間違っていないと思った。
 2人は最期まで愛し合っていた。
 秋菜は空にむかってつぶやいた。
「唯ちゃん、小山さんは唯ちゃんのこと嫌いになんてなってなかったんだよ」
 空のスクリーンに映し出された唯は、秋菜が最後に見た時のようににっこりと笑っていた。
 秋菜はそっと目をつぶり、そして祈った。
 もし死後の世界があるのなら、唯ちゃんと小山さんが2人で幸せにいられますようにと。




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