親友



第1話

「上条君、起きなさい…上条君!」
 先生の声が教室に響き渡る。
「たく、起きろよ!」
 後ろの席で圭吾が小さな声で言った。
「ん…?」
 俺は寝ぼけた声を出したみたいだ。
「この問題を解いてみなさい」
 その問題は学年トップがやっとで解けるような難しい問題だ。
 俺に解けるわけがないだろうと思いながらも、黒板の前に立った。
 最初に何をすれば良いかも分からず、チョークを持って問題を眺めていた。
 そこでチャイムが鳴った。
「次の授業までにきちんと答えを出してきなさい。途中式も忘れないように」
 先生にそう言われると、俺は自分の席に戻った。
「起立、礼」
 日直の号令で授業が終わると、俺は机に突っ伏した。
 なんで俺があの問題を解かなきゃいけないんだ。
 俺以外にも寝てるやつはたくさんいるのに…
 大体あんなつまらない授業をする先生がいけないんだ。
「たく、それは逆ギレだぞ」
 いつの間にか翔が俺の隣に来ていた。
「えっ、声に出てた?」
 俺は体を起こさずに顔だけ翔の方に向けて言った。
「声に出てなくても、雰囲気からなんとなく分かる。14年も一緒にいるんだから」
 俺、上条拓海と俺の後ろに座っている加藤翔は生まれた時からの付き合いだ。
 母親同士が俺達の生まれる前から仲が良かったらしく、今もよく一緒に食事に行ったりしているようだった。
 ちなみに翔は俺の事を『たく』と呼んでいる。
 別に翔に限った事ではないが。
「次の授業なんだっけ?」
 俺は体を起こし、数学の教科書とノートを机にしまいながら訊ねた。
「次は英語だよ」
「そっか……英語ぉ〜!?予習やってねーよ!翔、見せてくれ。頼む!」
「はいはい、次はちゃんとやってきてね」
「サンキュー!」
 俺はそう言うと急いで写した。
 後少しで写し終わるというところで、先生が入ってきた。




次の人へのお題:『水』、『英語』、『色』




第2話

 早くあてろ〜早くあてろ〜
 結局最後まで写し終わることができなかった俺は、先生にむかって『早くあてろ光線』を発していた。
 写していないところをあてられるくらいなら、さっさとあててもらった方がありがたいのだ。
「上条君」
 きたっ!!
 そう思った俺は勢いよく返事をした。
「はいっ!!」
 先生はなんとも微妙な表情で予想外のセリフを言った。
「いい返事ね。でもその妙な動きはやめなさい」
「え?」
 そう、『早くあてろ光線』を出すには人間とは思えないような動きが必要……なわけない。
 どうやら夢中になるあまり、自分でも気付かないうちにおかしな動きをしてしまっていたらしい。
 そういえば周りでクスクスと笑い声があがっていたような気がする。
「……すみませんでした」
 こういう時は素直に謝るのが被害を最小限に食い止める手段だと俺は心得ている。
 結局その後は先生にあてられることもなく、英語の授業は無事に終わりをつげた。


 先に注意されてしまえばその後はあてられないのだろうか。
 これはもしや法則?
 だとしたらこれは使える!!
 次の授業で試してみようか。
 真っ青な空をぼーっと眺めながら、俺はそんなことを考えていた。
「飯を食うのも忘れて、また良からぬことでも考えてるんだろ?」
 パンと牛乳を持った翔が俺の隣に腰掛けた。
 この屋上の一角はあまり人目につかない。
 そして昼休み中は俺と翔の指定席となっている。
 俺はいつも弁当を持ってきているが、翔はいつもパンと牛乳を買う。
 弁当は重くて邪魔になるから、以前翔はそんなふうに言っていた。
「ああ。どうやら、とある法則に気付いてしまったらしい。俺って天才かも」
「はいはい」
 翔はまったく相手にしてくれなかった。
 そんな他愛もない話をしながら俺らが昼飯を食べ終わるころ、何やら女の子たちの話し声が聞こえてきた。
 いつもはまったく気にならないのだが、その時はなんとなく耳に残った。
 それはきっと穏やかでない内容だったからだろう。
 首をのばしてその声がした方を見ると、あまり見慣れない集団がひとつ。
 どうやら数人の女の子が1人の女の子を囲んでいるらしい。
 意識を集中させるとある程度の声は聞き取れた。
「いつも……あの店……盗ってくれば……」
「……うざい……脱がす……」
 囲んでいる女の子たちはかなり物騒なことを言っているようだ。
 笑っていればきっとかわいいであろう顔は、どれも醜く歪んでいるように見えた。
 俺が立ち上がろうとすると、翔に肩をつかまれた。
「ほっとけって」
 しかし、俺は無言でその手を振り払い、彼女たちの方へ歩いていった。
 後ろで翔のため息をつく音が聞こえた。
「こういうのは感心しないな」
 彼女たちの側まで行くと、俺はできる限り優しい声で言った。
 しかし、返ってきたのはなかなかにひどい言葉だった。
「は?あんたには関係ないでしょ」
「ってゆーか、誰?」
「ヒーロー気どり?うざ〜」
 さすがの俺もちょっとムカッときていい返してやろうと口をあけたのだが、後ろから先に声が聞こえた。
「俺も良くないと思うな」
「あっ、加藤先輩……」
 誰からともなくそんなつぶやき声が発せられると、囲んでいた女の子たちは、さっと目で何かを確認しあい、次の瞬間、何も言わずに駆けていった。
「あ、あの……」
 どうやら彼女たちは翔のことを知っていたようだが、それはさほど不思議なことではない。
 翔は頭脳明晰、スポーツ万能、そして甘いルックスということで、この学校ではかなりの有名人だ。
 特に女の子の間では。
 まあ翔を知っていたとしても、どうして逃げたのかは疑問だが、女の子の世界はいろいろあるのだろうと、自分の中で勝手にけりをつけた。
「あの〜」
「え?俺?」
 駆け去った女の子たちを目で追いかけながら、あれこれ考えていた俺は自分に声をかけているのだということに気付かなかった。
 というよりも、てっきり翔に話しかけているのだと思ったのだ。
「はい。あの、ありがとうございました」
 そう言って女の子は深々と頭をさげた。
 鮮やかな水色のリボンで縛ってあるポニーテールも一緒におじぎをしているようで、かわいらしかった。
「いや、お礼なら翔に言ったほうがいいんじゃない?」
 結局追い払ったのは翔なのだ。
「でも先に割って入ってくれましたから。ホントにありがとうございました」
 俺にもう一度お礼を言った後、翔にも一度頭をさげ、彼女は走って去っていった。
 ゆらゆらと揺れるポニーテールが見えなくなってから、俺は彼女の名前を聞かなかったことに気付いた。




次の人へのお題:『鍵』、『道』、『涙』




第3話

「また良からぬことでも考えてたんだろ?」
 翔が呆れたように言った。
「えっ!何?あれ?俺今何してた?」
「はぁ〜?何って何もしてないだろ?次は徳だから早く行かないと怒られるぞ」
 翔の言葉にあやふやな返事をすると、俺達は急ぎ足で教室に戻った。


 次の日の朝、いつものように翔と2人で登校したら、ポニーテールの女の子と玄関で会った。
「おはようございます。昨日はありがとうございました」
 彼女は笑顔でそう言いながら、深々とおじぎをした。
「おはよう。またなんかあったら言いに来てね」
 翔が優しい声で言った。
「ところで名前はなんていうの?」
 俺が言った。
「1年C組の萩原 美穂です」
「美穂ちゃんね。俺は」
「上条先輩ですよね?」
 俺が自分の名前を言う前に美穂が言った。
「なんで知ってるの?」
 もしや俺の方が翔よりかっこいいとか??
 俺も下級生から人気あるんだなぁ〜
 短時間にそんなことを考えてニヤついていた。
「いつも加藤先輩と一緒にいるって有名ですよ」
「俺も有名人だったんだぁ〜…」
 まてよ…
「翔と一緒にいて?」
「はい、そうですけど…」
 何!!俺は翔のおまけなのかよ!
 全世界の光が暗闇に変わったように思えてきて、俺はその場にしゃがみこんだ。
 そうか…
 俺はおまけなんだ…
 俺の人生なんて一生おまけで終わりなんだ…
「ど、どうしたんですか!?体調悪いんですか?」
「大丈夫、大丈夫。よくあることだから」
 慌てて落ち着きを無くした美穂に翔が落ち着いた声で言った。
「で、でも…」
 その時ちょうど予鈴が鳴った。
 その瞬間俺は今までの悲観的な考えが全て頭から飛び散り、勢いよく立ち上がって言った。
「予鈴鳴っちまったじゃねーか!宿題終わってねーんだよ!!翔行くぞ!美穂ちゃんまたね」
「はいはい。美穂、俺等いつも屋上で飯食ってから、なんかあったらおいで」
 翔は美穂に向かってそう言うと、走り出した。
 俺も後を追いかけた。
 そんな俺たちのやり取りを近くの物陰で、見ていたものがいた。
 翔はそれに気付いたようだったが、俺は後になって知った。


 一時間目が終わった休み時間、美穂は昨日の女の子達に話しかけられた。
「昨日途中で話終わっちゃったじゃん?放課後もあんた早く帰っちゃうしさ。だから今日の昼休み、屋上に来てね。来なかったらどうしようかな〜。あんたの裸体でも写真に収めてあげるよ」
「うん…」
 美穂はうつむいて返事をした。
「うんじゃなくて『はい』だろ!!お前はうちらの下僕なんだから」
「はい…」
 美穂はが出そうになった。


 昼休み、いつものように屋上に来ると、出入り口にがかかっていた。
「あれ〜?鍵がかかってる。翔どうしようか?」
「しっ!」
 翔は口に人差し指を当てていった。
 そしてドアの下の隙間から覗き込んだ。
 俺も真似して覗いて見ると、見えるのは数人の女の子のスカートだけだった。
 よく見ると、昨日と同じように数人の女の子が1人の女の子を囲んでいるようだった。
 そしてこっちの方に歩いてきた。
 とっさに近くにあった倉庫の中に隠れた。
 翔はすでに倉庫の中にいた。
 女の子達はひとこともしゃべらずに階段を下りていった。




次の人へのお題:『音楽』、『蝶』、『屋上』




第4話

 しばらくしてうつむき加減の美穂がひとりで屋上のドアから出てきた。
 俺はたまらず倉庫から飛び出し、美穂に声をかけた。
「美穂……ちゃん……」
 ビクッと一度体を震わせて、美穂は顔をあげた。
 その怯えたような目からは大粒の涙が転げ落ちていて、俺はそれ以上言葉を続けることができなかった。
 彼女が以前のようにペコリと頭を下げると、涙のカケラがキラキラと宙に舞った。
 彼女もまた、ひとことも発することなく、階段を駆け降りていった。


 昼休み明けの授業は美術だった。
「今日と来週は写生の時間にします。教室を出て好きな場所へ移動してもいいですが、絶対に学校の外には出ないように……」
 先生の細々した注意が終わるとみんないっせいに席を立った。
「加藤く〜ん、一緒に描きに行こうよ」
「えっ、あ、いや、俺は……」
 女の子にさっと囲まれてしまった翔は助けを求めるような目で俺を見た。
 いつもの俺ならなんだかんだ理由をつけて翔と一緒に行動しただろうが、今日は笑顔で手を振ってやった。
 『いつも加藤先輩と一緒にいるって有名ですよ』
 美穂の言葉が脳裏をよぎったのだ。
 翔が女の子たちに連れられて行くのを見送ってから、俺も教室を出た。


 翔のおまけ……そんなふうに見られていることはうすうす気付いていた。
 というよりも、自分では納得ずくで一緒にいたつもりだった。
 翔がすごい奴だってことは俺が一番よく知っている。
 しかし、あんなふうにはっきりと他人から言われるとさすがにショックだった。
 いや、言われたのが美穂からだったせいかもしれない。
 あの時、気持ちを切り替えたつもりだったが、ひとりでいると今朝のやりとりが自然と思い出された。
 行くあてもなく廊下をプラプラ歩いていると、いつの間にか玄関の前に来ていた。
 外にでも行ってみるか。
 なんとなくそんな気になり、靴を履き替え外に出た。
 ようやく暑かった夏も終わり、時おり涼しげな風がふいてくる。
 そんな風にのって季節はずれのアゲハが一匹、俺の目の前を横切った。
 こいつでも描こうかな。
 そんなふうに思い、俺はそのアゲハ蝶を追いかけた。
 しばらく追いかけていると、ようやくアゲハ蝶が校舎の壁にとまってくれた。
 そのままじっとしててくれよ〜。
 俺はそう願いながらその場に腰をおろした。
 と、その時、突然ピアノの演奏が始まった。
 俺でさえびっくりしたのだから、アゲハ蝶がびっくりしないはずがない。
 学校の外へと飛んで行く様を、俺は黙って見送るしかなかった。
「はい、もっと声出して〜。特に男子。全然聞こえないよ〜」
 聞き覚えのある声がして、俺はそこが音楽室のそばである事に気付いた。
 今の声は音楽教師の伊藤先生のものだ。
 去年俺も伊藤先生に音楽を教わっていたのだが、まあまあの成績をくれたので感謝している。
 なつかしくなって俺はちょっとのぞいてみることにした。
 音楽室は1階のはじっこにあるので、外からある程度中の様子を見ることができる。
 しかし、のぞくと同時に軽い違和感を感じた。
 その原因は、先生が指揮棒をふっていることにある。
 俺は先生が指揮棒をふっているところを見たことがない。
 それは、先生がいつもピアノを弾いていたからだ。
 だとしたら誰がピアノを弾いているんだろう。
 この角度ではピアノが陰になって演奏者の顔が見えない。
 興味を持った俺は違う角度からのぞいてみることにした。
 えっ!?
 その時俺の目はきっと30センチほど飛び出していたに違いない。
 ピアノにむかって座っているのは美穂だった。
 しかも、さっき泣いていたことが嘘のように、ピアノを弾いている横顔はとても輝いていた。
 そして、そのピアノの音色はとても繊細で穏やかな感じがした。
 俺はしばらくその音色に聞きほれ、美穂にみとれていた。
 しかし、ふと画材道具をもっていることを思い出し、まさにこの情景を、いや何よりもピアノを弾いている美穂を描こうと思い、急いで準備をはじめた。
 そんな時だった。
 紙のようなものがヒラヒラと舞い落ちてきたのは。
 俺はとっさに上を見上げたが、誰かが顔をのぞかせている、ということはなかった。
 さすがに気になって拾い上げてみると、紙のように見えたそれは写真だった。
 そこには裸の女性が写しだされていた。
 俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
 女性の裸が艶かしかったからではない。
 その女性の顔には見覚えがあった。
 見間違えるはずがない。
 たった今までみとれていた顔だ。
 誰がこんなことを!!
 俺は怒りにまかせて、その写真をぐしゃぐしゃに握りつぶした。
 ピアノの音はまだ聞こえていたが、俺は走り出した。
 写真は上から落ちてきた。
 あのタイミングで自然に落ちてくるなんて考えられない。
 誰かが意図的に落としたのだ。
 その場所が2階なのか3階なのかわからないが、とにかく俺は走り出した。
 それが無駄な行為だということを、俺はわかっていた。
 その写真を落とした人物がいつまでもそこに居続けるはずがない。
 それでも俺は走った。
 少しでも早くこの場をはなれたかったから。
 ここにいれば、また美穂を見てしまうだろう。
 そしてその時、俺の目に映る美穂は、服を着ていないに違いない。
 それだけは何が何でも避けたかった。
 俺は頭に焼きついた画像を振り払うようにやみくもに走り回った。
 走り疲れた俺の足が止まると同時に、授業の終わりを告げるチャイムの音が鳴り響いた。
 息が整ってくるとともに、俺の頭は冷静さを取り戻していった。
 普通に考えてみれば、誰の仕業か見当がつくじゃないか。
 昨日屋上で美穂を囲んでいた女の子たちがやった可能性が高い。
 確か脱がすだのなんだの言っていたはずだ。
 ただ、彼女たちがやったという証拠は何もない。
 美穂に聞くのが一番早いことはわかっている。
 でも、それだけはどうしてもしたくなかった。
 俺の頭には、昼休みに見た美穂の泣き顔が映し出されていた。




次の人へのお題:『写真』、『雨』、『怒』




第5話

 とりあえず翔に相談してみようと思い、教室に戻った。
 教室の中はみんな外に行ってしまったようで、クラスの人数の半分くらいしかいなかった。
 翔は教室にはいなかった。
 そういえば、女の子達に取り囲まれていたっけ。
 近くにいた男子に翔がどこにいったか聞いてみた。
「あぁ、翔なら数人の女子と一緒に裏庭の方に行ったみたいだぜ。翔はもてるからいいよなぁ〜・・・・・・って、なんでまだ何も描いてないんだよ!もう5時間目終わってるんだぞ!まぁ俺の知ったこっちゃないけどな。がんばれよ!」
 俺は苦笑いしながら、その場を去った。
 ちょうどその時、6時間目が始まるチャイムが鳴った。
 裏口から外に出ようと思い廊下を歩いていたら、翔に会った。
「あっ、たく!なんで助けてくれなかったんだよ。あれから大変だったんだぞ!」
「あれ?どうやって女子達から逃げて来たの?」
「休み時間になってすぐトイレに行くって言って逃げてきたんだ。だからスケッチブックとかはまだ裏庭に置いてある」
「ふ〜ん。なんだかんだ言っても、楽しんできたんじゃないの?」
「そんなわけないだろ!あれ、降ってきた?ヤベ、スケッチブックとってくる」
 翔はそう言い残して、走って行った。
 相変わらず足の速いことで。
 ん?俺なんか忘れてないか?なんで翔探してたんだっけ?
「あ〜〜〜!!」
 そうだ、美穂ちゃんの写真だ!
 思い出した瞬間、俺は翔が走って行った方向に走り出した。
 なんとなく早く翔に言わなければならないような気がした。


「翔!大変なんだよ!美穂ちゃんが美穂ちゃんの写真が…」
 すぐに翔と会えた。
 そして写真の事を伝えようとしたが、頭が混乱してきた。
「美穂の写真?それがどうしたの?落ち着いて話してごらん」
 翔はまるで小さい子どもに言い聞かせるようだったが、俺は嫌な気はしなかった。
 むしろ翔の言葉は俺を安心させてくれるものだった。
「えっと、俺は外に出たんだ。そこでアゲハ蝶を見つけてついていったら音楽室の窓の近くに来たんだ。美穂がピアノを弾いててそれをスケッチしないとって思って準備をはじめたら、写真が落ちてきたんだ。その写真には…」
 自分でもびっくりするほど順番に話すことができた。
「それでその写真はどこにあるの?」
 翔は写真に何が写っているかは聞かなかった。
 きっと見当がついていたのだろう。
「あれ?どこだっけ?」
「たくの手の中か?」
 翔に言われて自分の手を見てみると、写真をくしゃくしゃにして持っていた。
「ほんとだ。なんで分かったの?」
「おまえずっと手を握りしめてただろ?だからだよ」
「ふ〜ん」
 俺は翔に写真を渡した。
 翔は写真を見ないで自分のポケットにしまって言った。
「それで写真がどこらへんから落ちてきたか分かるか?」
「場所はさっき言ったとおり音楽室の前だけど、2階か3階かはよく分からなかった。上を見上げたけど、誰も顔を出したりしてなかったよ。多分あの女の子たちがやったんだろうけど。でも証拠はないんだよねぇ」
「そこなんだよなぁ〜」
 端から見たら翔は考え込んでいるようにしか見えないが、実際はりに震えていた。
 俺は長年のつきあいから翔が怒りに震えている事は分かった。




次の人へのお題:『花』、『風』、『証拠』




最終話

 とにかく今はスケッチをしないと先生に怒られる。
 そういう共通認識のもと、俺と翔はスケッチブックを取りに、別々の方向へ歩き出した。
 誰もいない廊下はとても静かだった。
 この時まで俺はすっかり忘れていた。
 今が授業中だということを。
 あっ!!
 俺は思わず声を出しそうになり、あわてて自分の口をふさいだ。
 そう、あの時、写真が落ちてきた時も授業中だった。
 このことの重要性に今気付いた。
 つまりあの時、学校内をウロウロできた人物は限られているのだ。
 先生、授業をさぼっている不良、そして、特別に校内をうろつく許可を得た俺のクラスの生徒……
 しかし、先生がやったとは到底考えられない。
 また、美穂を脅していた女の子たちは授業をさぼるほどあからさまな不良には見えなかった。
 だとすると、俺のクラスに写真を落とした人物がいるってことに……
「上条くん、こんなところに突っ立って何してるの?」
「え?」
 どうやら俺は廊下の真ん中で考えにふけってしまったらしい。
 そばには数人の女の子がいた。
「あ、いや、なんでもないよ」
「ふ〜ん、相変わらず変な人ね。ところで、加藤くん知らない?」
「翔なら裏庭にスケッチブック取りに行ったと思うけど……」
「あれ?じゃあ入れ違いになったのね。雨が降ってきたから持ってきてあげたのに」
 確かにその女の子の脇にはスケッチブックが2つはさまれていた。
 そういえば翔を連れて行ったのはこの子たちだったな。
 その時、俺はひとつの可能性に思い至っていた。
 ただ、それは突拍子もない発想だった。
 今までそんなこと考えもしなかった。
 俺が確かめようと思ったのは、他でもない今日だったからかもしれない。
「あのさ、翔がいなくなったのは、授業が始まってからどれくらい?」
「あたしたちはおを描こうと思ってたから、すぐに裏庭に行ったわ。加藤くんは描き始めてすぐトイレに行くって言い出したから……それほどたってなかったんじゃないかしら」
「15分くらいってことかな?」
「そんなもんだと思うわ。でも、なんでそんなこと聞くの?」
「いや、ありがとう。翔に会ったらスケッチブックのこと伝えておくよ」
 そう言って俺は女の子たちと別れた。


 俺があの写真を拾ったのは授業開始から30分以上たってからだ。
 推理小説風に言えば、翔にアリバイはないってことになる。
 だからといって翔が犯人だと決めつけるのは早計すぎる。
 依然として証拠はなにもない。
 そして、翔がそんなことをするとは考えたくない。
 しかし、美穂のことを知っている人物がそう多いとも思えない。
 それによく考えてみると、さっきの翔の言動はおかしくなかっただろうか。
 どうしてあれだけ落ち着き払っていたのか。
 どうして写真の確認すらしなかったのか。
「たく、どうした?怖い顔してるぞ」
「翔……」
 ドクン、俺の心臓がひときわ大きく鳴ったような気がした。
 目の前にはいつの間にか翔が立っていた。
「翔、話があるんだ」
「美穂のことか?」
 翔は俺の心を知ってか知らずか、そんなふうに聞いてきた。
 そうだ、と俺が答えると、翔は屋上に行くことを提案した。
 小雨が降っているため、クラスの連中も屋上には来ないだろう。
 俺は翔にいくつか質問をぶつけてみようと思っていた。
 俺は翔を疑いながらも、何も知らないと言ってくれることを願っていた。


 屋上の床はしっとりと濡れていた。
 雨はそれほど激しく降っていなかったが、俺たちはあまり雨の当たらない昇降口の陰でむかいあった。
 俺はどう切り出そうか悩んだあげく、世間話をするかのように、こう切り出した。
「翔、スケッチはどのくらい進んだ?」
「いや、全然だな。すぐにトイレに行くって抜け出してきたから」
 これは一緒にいた女子も言っていたことだ。
「スケッチブックを置いたまま何してたんだ?」
「たくを捜してた」
 俺は一瞬ドキッとしたが、それは別に不自然なことではない。
「何で?」
「一緒に描こうと思ったからさ。スケッチブックも一枚破ってもらおうと思ってた」
「そうか……」
 俺はほっとした。
 翔が嘘を言っているようには見えなかった。
 しかし、ほっとしたのも束の間だった。
「たく、俺を疑ってるのか?」
 美穂のことだといいつつ、翔のことばかり聞いていれば、怪しまれても当然だろう。
 俺は自分の考えを正直に話すことにした。
「あの時校舎をうろつけたのはうちのクラスの奴くらいだろ?で、翔がひとりでいたってことを女子から聞いたからさ。万が一ってことを考えて……」
「へぇ〜。こういうときは頭が回るんだな。でも証拠もないのに疑ったのか?」
「スマン。ホントに悪かった」
「謝る必要はないさ」
「じゃあ許してくれるのか?」
「許す?」
 そこで翔が突然笑い出した。
 俺が今までに聞いたことのないような、不気味な笑い声だった。
 その後、翔は言い放った。
「そんなこといくらでも許してやるさ。でも、たくは俺を許せるかな」
「どういう意味だ?」
 俺の喉はカラカラに渇いていて、自分でもびっくりするくらいかすれた声しかでなかった。
「写真を落としたのは俺だってことだ」
 俺の頭の中を暴雨が駆け抜けていったような感じがした。


「人間、裏切られた時はそんな顔するんだな」
 翔の声で俺は現実に引き戻された。
 翔は一瞬悲しげな表情をしたように見えたが、すぐに不気味な笑顔にもどった。
 そしてポケットからぐしゃぐしゃになった写真を取り出した。
「この写真は美穂を脅すために用意したものだ。だけど、さっき階段の踊り場からたくを見つけた時、たくにもこれを見せてやりたくなったんだ。上からでも、美穂を夢中になって見てるのはわかったぜ。」
「何で翔が美穂ちゃんを脅すんだ!?昨日、一緒に助けてやったじゃないか。」
 俺には何がなんだかわからなかった。
「そうだな。たくが首をつっこむようなことをしなければ、こんなことにはならなかったかもな」
「どういう意味だ?」
「あいつらに美穂をいじめさせてるのは俺なんだよ。」
「なっ……」
 俺は衝撃のあまり声が出せなかった。
「リーダー格の女がたまたま俺に告白してきてね。つきあうかわりに交換条件を出した。むかつく女がいるからちょっとからかってやってくれって。もともと美穂のことを嫌ってたみたいでね。簡単に引き受けてくれたよ」
「そんな、バカな……じゃあ昨日や今朝のやりとりはいったいなんだったんだ……」
「あんな三文芝居にだまされるとはな」
 三文芝居……
 確かに今考えてみるとおかしいところはいくつもあった。
 美穂は翔にほとんど話しかけようとしなかった。
 翔ははじめから美穂を呼び捨てにしていた。
 そして、美穂を囲んでいた女子たちは、翔の姿を見て簡単にひきさがった。
 俺はだまされていたというのか。
 腹のそこからフツフツと怒りが湧き上がってくるのを感じた。
「どうしてこんなことをしたんだ?」
「どうだっていいだろ、そんなこと」
「どうだっていい?」
 俺は右手を強く握り締めた。
「強いて言えばおもしろいから……グッ!!」
 俺は我慢できずに翔を殴った。
 不意をつかれた翔が後ろに倒れこむと、翔の手から写真がこぼれ落ちた。
 俺がそれを拾おうとかがんだ途端、腹に衝撃がはしった。
「おまえに何がわかる!!」
 何がわかる?
 俺は今まで翔の全てを知っているような気でいた。
 しかし、ここに俺の知らない翔がいる。
 俺は翔のことを何もわかっていなかったのだろうか。
 2人で過ごした14年間はいったい何だったのだろう。
 その後、何発殴られたのかは覚えていない。
 遠のいていく意識の中で、最後に見たのは、歯をくいしばった翔の顔だった。


 あったかい……
 ここはどこだろう。
「上条先輩」
 俺を呼ぶ声がする。
 この声には聞き覚えがある。
「大丈夫ですか、上条先輩?」
 そう、美穂だ。
「美穂ちゃん!?」
「きゃっ」
 ガバッと飛び起きた俺に美穂は驚いたようだ。
「大丈夫?」
 思わず俺はそんなことを口走ってしまった。
「怪我をしてるのは先輩の方ですよ」
 くすくすと笑う美穂を俺はかわいいと思った。
 しかし、あれからどうなったかを知るのが先決だ。
 辺りを見回すと、ここが保健室であることはすぐわかった。
「ここへはどうやって?」
「屋上の方から濡れた足跡が続いていたから、先生が不審がって見に行ったそうです。そうしたら上条先輩が倒れてたって」
 どうやら先生が運んでくれたらしい。
 屋上から続いていたという濡れた足跡は翔のものだろう。
「でも、そんなにひどい怪我じゃないみたいですよ。ところどころ痣になってるけど、骨には異常なさそうだって、保健の先生が言ってました」
「そう……」
 俺は気のない返事をした。
 それより俺は翔と美穂の関係について、聞こうか聞くまいか、迷っていた。
「そういえば、右手に何を握ってるんですか?」
「右手?」
「気を失ってるのに全然開かないって」
 自分でも気付かなかったが、今までずっと握り締めていたらしい。
 俺はゆっくりと右手を開いた。
 途端に美穂の顔色が曇った。
「写真……ですか?」
「ああ」
 美穂はうつむいてしまった。
 そこに何が写っているか、美穂は俺の態度からすぐに悟ったようだった。
 俺がかける言葉を探していると、美穂の方から口を開いた。
「あたしそんなに胸おっきくないです」
「え?」
 うつむいてはいたが、美穂の耳が赤くなっているのが見えた。
「ってことは……まさか、合成?」
 美穂は小さくうなずいた。
 俺は心底良かったと思った。
 俺が大きく息をついていると、美穂は俺の手からぐしゃぐしゃになった写真をそっと取り上げた。
「でも恥ずかしいから、これはあたしが処分します」
 俺はこのとき、わずかながら残念な気持ちがあったことを否定できない。
 そんな気持ちが顔に出ないうちに、俺は美穂と話をすることにした。
 美穂には聞きたいことが山ほどある。
 俺は覚悟を決め、屋上での翔とのやりとりを美穂に話した。
 すると美穂は意外な言葉を口にした。
「そうですか、お兄ちゃんと……」
「お兄ちゃん?」
 美穂はこの後、全てを話してくれた。


 美穂の話によると、美穂と翔は親戚だということだ。
 しかし、本家と分家というような関係で、あまり仲が良くないらしく、家がそれほど遠くないにもかかわらず、親どうしの交流はほとんどない。
 だから、美穂と翔が会うのは冠婚葬祭といった行事の時くらいだった。
 たまにしか会わないが、美穂は翔のことを慕っていたらしい。
 やさしいお兄ちゃんとして。
 今にして思えば、翔は俺に美穂のことを話してくれていた。
 ただ翔が俺に話す時は『親戚の女の子』、としてだったので、今までわからなかった。
 この二人の関係が崩れるのは、偶然に偶然が重なった1年ほど前のある日のことだった。
 繁華街に買い物に出かけていた美穂は、そこで偶然翔と出会った。
 学校内でも学年が違えばほとんど会うことはない。
 久しぶりに会った二人は世間話をしながらしばらく歩き回ったが、そこで信じられない光景を目にした。
 それは翔の母親が知らない男とホテルに入っていくところだった。
 翔は美穂をおいてその場を走り去った。
 しかし、その日から美穂は翔に頻繁に呼び出されることになる。
 初めは口止めが目的だったらしい。
 しかし、それがだんだんエスカレートして、いじめと呼ばれるものに変わっていった。
 翔は美穂に『お兄ちゃん』と呼ぶことを禁じた。
 やさしいイメージのあるその呼び方で呼ばれることが苦痛だったのかもしれない。
 翔の父親は今でも妻の不倫に気付いていない。
 そして、翔は何事もなかったかのように振舞っている。
 しかし、翔に全く変化がなかったわけではないことを、俺は思い出していた。
 翔が昼食にパンを買うようになったのは、時期的にちょうどこのころだ。


「お兄ちゃんはきっと女性の全てを嫌ってるんだと思います」
 それを聞いて俺はようやく納得した。
 どうして、あれほどまでに女子を避けていたのか。
 どうして、俺の美穂への想いを知った時、それをぶち壊そうとしたのか。
 翔はずっと演じ続けていた。
 ただでさえ、学校ではみんなの憧れの的だった。
 それに加えて、家でもいい家族を演じなければならなかった。
 そのストレスは、中学生の心で耐えられるものではなかったのかもしれない。
「でも、それはお兄ちゃんのせいじゃないんです。だから、お兄ちゃんを嫌いにならないであげてください」
 美穂は涙ぐんでいた。
「先輩までお兄ちゃんを嫌いになったら、お兄ちゃんは誰も信じられなくなってしまいます」
 あれだけひどいことをされても、まだそんなことを言うのか。
「お兄ちゃんはかわいそうな人なんです。だから……あっ」
 俺はたまらず美穂を抱きしめていた。
 体のそこらじゅうが痛かったが、そんなことは全く気にならなかった。
 美穂のぬくもりは保健室の布団よりもあたたかかった。
「あ、あたし、保健の先生呼んできますね」
 そう言って顔を真っ赤にした美穂は保健室を出て行った。


 翔……
 俺は翔のことを思いながら再びベッドに横になった。
 どうして俺に打ち明けてくれなかったんだ。
 俺たちは親友じゃなかったのか。
 その一方で、親友の苦しみに気付いてやることができなかった自分にも腹がたった。
 翔はずっと話したがっていたのかもしれない。
 そうでなければあの時、証拠もないのに自分から話す必要なんてなかったはずだ。
 美穂は翔のことを嫌いにならないでほしいと言った。
 しかし、正直なところ、これから翔との関係がどうなるかはわからない。
 どうしたらいいかもわからない。
 俺は翔を許せるだろうか。
 ただ、俺の心の中で、はっきりしていることがひとつだけある。
 何があっても、美穂は俺が守る。


 さっきまで降っていた雨はいつの間にかやみ、保健室の窓からひとすじの光が差し込んできた。
 雨の切れ間のそれは、とても弱々しい光だったが、保健室の中を少しだけ明るくしてくれたようだった。
 その時、保健室の扉がガラリと開く音が聞こえた。




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