双子の想い


 焼き上がった2枚のハムがフライパンの中で音を立てている。
 そのフライパンを手際良く揺すり、ハムをいつもの定位置へと運ぶ。
 脇に置いてあるふたつの卵を左右両方の手でひとつずつ握り、フライパンの互い違いの角を使って同時にひびを入れ、手の腹と指を軸にして優しく、そして力強く真っ二つに割る。
 手の平を巧みに動かし、ふたつの柔らかい生身をフライパンの上に注ぎ込むように落とす。
 片手での卵割り・・・長年同じ動作を繰り返してきた者が成せるワザだ。
 黄身がそれぞれのハムの上に乗り、白身がそのまわりを円を描きながら囲っていく。
 ふたつの白い円は徐々に広がり、重なり合い、混じり合う。
 パチパチと小気味良く油が弾ける音を耳にしながら食パンをトースターにセットする。
 タイマーをかけたらフライパンに水を少し注ぎ入れて蓋をする。
 焼き具合はいつもそのときの気分次第。
 やや半熟のミディアム仕立て。
 今朝の榊アヤカはそのような焼き具合を選択した。


「おはよう、アヤちゃん!」
 大きな声が台所に響き渡り、わずかに余韻を残していたトースターのタイマー音をかき消した。
 その声の出所は榊アヤカの双子の妹、サヤカからのものだった。
「おはよう。昨日は遅かったじゃない、どうしたの?」
 ハムエッグを皿に盛りながらアヤカは訊ねた。
 昨夜、サヤカは2時過ぎに帰って来た。昨日の日曜日は先週サヤカが助っ人で参加したソフトボール部の試合の打ち上げ会があり、そのせいで遅くなったことはわかるのだが・・・。
「ゴメンゴメン、本当は日付がかわる前に帰りたかったんだけど、カラオケに行ったら盛り上がっちゃって。勢いに乗ってどんどん延長していったらいつの間にか・・・。楽しいときって時間が経つのが本当に早いね」
 食器を並べながらサヤカはいつものことのように言った。別段言い訳めいた様子はない。
 昨夜は「もうすぐ帰る」という主旨のメールがアヤカの携帯電話に何度も届けられたが、結局サヤカが帰宅したときには既に時計の針は2時を廻っていた。
 サヤカの帰宅が遅くなることは珍しいことでもないのだが、それでも多少の心配をしながら、アヤカはベッドの中で雑誌や読みかけの小説を手にしながら帰りを待っていた。
 文字が二重に見えるほどのどうしようもないまどろみが訪れた頃、ようやく玄関が開く音とサヤカの大きな欠伸が聞こえた。
 その物音を耳にしたアヤカは安堵し、直ぐ様深い眠りに落ちた。


「はい、コーヒー。これ飲んでちゃんと目を覚ましてね」
 アヤカはテレビの芸能ニュースに夢中のサヤカにコーヒーの入ったマグカップを手渡した。
「ありがとう!さすがアヤちゃん、気が利くね。これで今日のサヤカは完璧です」
「でもどうせ授業中に居眠りするんでしょ」
「当たり!けど居眠りどころじゃありません。爆睡しちゃいます」


 アヤカとサヤカは一卵性双生児としてこの世に生を受けた。
 ほとんどの一卵性双生児がそうであるように、この姉妹も幼少の頃から口々に「そっくり」と言われている。 
 だが同時に、性格は正反対だね、とも言われる。
 それは悪口でも、ましてや賛辞でもない。
 現にそのことは当の本人たちが一番良くわかっている。
 もしできることなら、私とサヤカを足してふたつに分ければ丁度いいのに、とアヤカは時々思うことがある。サヤカはどう思っているかわからないけど。


「・・・でね、その店のマシーンの採点が結構ハードだったんだけど、それでもみんな80点オーバー連発していたんだ。けど私だけは何回挑戦しても75点とか78点とかばっかりでオーバーできなかったの」
 そう言ってサヤカはミニトマトを口に運んだ。
「サヤカが80点オーバーできないなんて、なかなかの難敵だね」
「それでだんだんマジになってきて、勢いで演歌選曲してみたの。なんて曲だったかなあ、メロディはわかるんだけど、えーと、確か、津川雅彦・・・モト冬樹・・・だったかなあ」
「もしかして・・・津軽海峡冬景色?」
「そう、それ!で、歌ってみたら凄いのなんの。力いっぱいコブシを効かせて熱唱したら滅茶苦茶気分良くてさあ。カラオケであんな気持ちになったのはじめて。点数は悪かったけど。演歌も結構いいもんだね」
 サヤカはスプーンをマイク代わりにして楽しそうに語った。まるで昨夜の出来事を再現するかのように。


 現在、榊家はアヤカとサヤカのふたりっきりだ。
 母は小学校に入ったばかりの頃、交通事故で亡くなった。
 父は海外出張中で来年の春まで帰って来ない。
 よって、アヤカとサヤカのふたり暮らしの日々が続いている。
 そのような家庭環境の中にいるからかもしれないが、最近アヤカは自覚するようになった。
 自分はサヤカの母親代わりなのだと。  
 実際アヤカは、炊事、掃除、洗濯など、家庭内のあらゆる雑務を毎日をこなしている。
 定期試験が近づいてくると、勉強が全くダメなサヤカのために臨時家庭教師となることもある。
 一方のサヤカは運動神経抜群で、学校内のあらゆる体育会系クラブの助っ人として活躍している。
 いつもは帰宅部なのだが、地区予選のシーズンが迫る頃になると、クラブ間で取り合いになるほどの人気ぶりだ。
 当のサヤカはそのような誘いを面倒臭いとは思っていない。いつもすんなりと引き受ける。
 試合や大会が行われるだいたい2週間前になると練習に参加し、当日は他の部員と遜色がないほど、いや、それ以上の活躍をするほどだ。
 そのようにサヤカが活躍できるのは、ただスポーツ万能だからというわけではない。
 個人競技だけではなく、チーム内のコミュニケーションが重要な団体競技でもサヤカが活躍できるのは、人と打ち解ける能力も優れているからだと、最も身近な存在であるアヤカはそう確信している。

「あはははは!あのレポーター、転んじゃったよ。新人ってなんでもやらされて大変だね」
 テレビには山岳救助隊の訓練を弱腰で体験する新人レポーターが映し出されている。

 時に、アヤカはこう思うこともある。
 サヤカの才能がひとつの物事に向けられたらなあ、と。
 昔からサヤカは飽きっぽく、何事に対しても長続きしたことがない。
 サヤカも「私って飽きっぽいから」と自ら認めている。
 だから帰宅部を選んだのだ。
 もしかしたら、自分の才能をどう生かすかサヤカなりに試行錯誤しているのかもしれない。
 そのために有りとあらゆるスポーツに挑戦して、自分を試しているのかも・・・。
 そんな考えを巡らせていると、サヤカが促すかのようにテレビを指差した。
「見て見てアヤちゃん、今日の私たち恋愛運最高だって。ラブラブ〜!」
 私たち・・・アヤカの頭の中でいつも空虚に響く言葉だ。
 血液型は同じ。
 双子なのだからもちろん星座も同じ。
 容姿も瓜ふたつ。
 それなのに性格がこんなに違うのは・・・。
「ごちそうさま」
 お喋りが絶えなかったサヤカだが、アヤカよりも早く食べ終わり、食器を流し台に持っていった。
 ガチャガチャガチャ。
 サヤカにとっての朝の日課である食後の皿洗いが慌ただしくはじまった。
「そんなにのんびり食べてたら、洗い終わっちゃうよ」
 サヤカの皿洗いは食事と同じくアヤカの倍以上早い。
「ちょっと待ってよ。あんまり急いで食べると体に良くないのよ」
「な〜に、おばあちゃんみたいなこと言ってんのよ。ほら、急いで、急いで」
「んもう・・・」
 アヤカは仕方なく残りのパンをコーヒーで流し込んだ。


「忘れ物はない?」
 アヤカが出かける前に必ず言う言葉がそれだ
 「大丈夫、大丈夫」
 そしてサヤカが必ず返す言葉がそれだ。
 もはや決まり文句のようなものになってしまい、実は大丈夫でないことも多々あるのだが・・・
 アヤカが誰もいなくなる家にしっかりと鍵をかけ、2人は並んで学校へと歩き出した。
「そういえば、サヤカは卒業したらどうするつもりなの?」
 アヤカはできるだけさりげない感じでサヤカに尋ねた。
「え?そっか・・・来年はもう3年生だもんね。アヤちゃんは大学?」
「そのつもりだけど?」
「う〜ん・・・私はまだ考えてないな〜」
「でも、もうそろそろ考え・・・」
「アヤサヤ、おはよう〜」
 アヤカの声をかき消すように、1人の友達が話しかけてきた。
『おはよう〜』
 2人そろってあいさつをしたが、この後、主にしゃべるのはサヤカの方だ。
 アヤカは時折あいづちをうつ程度である。
 「はあ・・・」
 友達と楽しそうに話すサヤカを横目に、アヤカはそっとため息をついた。


 アヤカとサヤカはいつも一緒で、いつもセットだった。
 何かというとすぐに比べられる、そういうのが嫌だと思うこともあった。
 でも、だんだん大きくなり、2人一緒にいる時間が少なくなってくるとアヤカは何故か不安になっていった。
 自分でも何がそんなに不安なのかはよくわからない。
 このまま高校を卒業することになれば、2人は完全に別々の道を歩くことになるだろう。
 2人の学力にはかなりの開きがある。
 最近、そのことを考えるとアヤカはどうしようもなく不安になるのだ。
 こんな気持ちでいることをサヤカには話していない。
 話すのが怖い。
 いつも明るく、みんなと楽しそうにおしゃべりするサヤカは、こんな気持ちになることはないのだろうか・・・


 そんなことを考えながらボーっと歩いていると、いつのまにか学校に着いていた。
 アヤカ達は二年生なので、クラスは二階にある。
 二人は靴を履き替えて、二階へあがっていった。
「それじゃあ、またね〜」
「うん」
 そう言って二人はわかれた。
 アヤカとサヤカは隣同士のクラスで、アヤカはA組でサヤカはB組である。
 でも校内で二人が一緒に居ることはほとんど無い。
 サヤカはいつも同じクラスの友達と一緒に居るし、アヤカはあまり人付き合いが得意ではないので、一人で居ることが多かった。
 学校の帰りも一緒に帰ることはほとんど無い。
 サヤカは帰りにカラオケなどに寄り道し、アヤカは弓道部に入っているのでサヤカと一緒に遊んでいるわけにもいかないのだ。
 自分のクラスに入ると、アヤカは席に着いてはぁーっと深いため息をついた。
「どうしたの?そんなおっきなため息ついちゃって」
「あ、ゆっちゃん…」
 話し掛けてきたのは、クラスの中で一番中の良い武山ゆかりであった。
 彼女はアヤカと同じ弓道部員でもあった。
 だから一番一緒に居る機会も多く、仲良くなりやすかったのである。
 今では一番の親友とも言える。
 たまに家にも遊びに来るので、サヤカとも知り合いであり、仲も良い。
 今ではすでに三人とも姉妹のようである。
「ちょっと悩みごとがあって…」
「悩み事?あたしで良かったら相談にのるよ?」
 彼女はそういってアヤカの前の席に座った。
「う〜ん…今はいいや」
「そう?まぁいいけどね。気が向いたらいつでもあたしに相談してよ」
「うん、わかった。ありがとね」
「どーいたしまして。そういえばさ…」
 こうしてちょっと話をしていると、チャイムが鳴って先生が入ってきた。
 そしていつもと変わらない一日が過ぎていった。


 キーンコーンカーンコーン…
 一日の終わりのチャイムが鳴り、校内がいっせいに騒がしくなった。
「サヤカ、サヤカ。」
 誰かが体を揺さぶる。でも……もう少し……。
「早く起きなさい。起きなさいって!」
「う〜ん……。」
 渋々体を起こす。随分長く寝ていたのか、なかなか目が開けられない。
 目を擦って何とか開くと、目の前にアヤカがいた。
「やっと起きた〜。」
 アヤカがくたびれたように言う。
「ねぇ、もうレポートは済んだの?」
「んにゃ……レポート?」
・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
「あーーーーーすっかり忘れてた。」
「………………もう。」
「何で私寝てたの?」
「…………何で?」
「眠たかったからです!!」
 起きてすぐだと言うのにも関わらず、サヤカのテンションは高い。
 アヤカはとりあえず落ち着かせる。
「で、どこまで済んでるの? 家ではあんまりやってなかったみたいだけど。」
 サヤカは笑いながら窓の外を見上げた。
 ……全然してないんだ。
 アヤカは即座に理解した。


 サヤカは勉強が大の苦手である。
 アヤカが手伝っているとはいえ、あまりよろしいとは言えない。
 そのため、成績に大きく響くレポートを、一つでも出さないということは自殺行為としか言えない。
 〆切は6時。それまでに何とか仕上げなければ。
 サヤカもようやくする気が出たのか、さっさと書き始めた。
 だが、その手はすぐに止まった。
 サヤカが書いているのはレポートの核と言える考察部分だ。
 ここが無ければほとんどレポート自体は意味を成さない。
 サヤカは起きたばかりの頭をフル回転させて考える。
 一方のアヤカは別の部分、つまり目的などを書いている。
 楽なようだが、文章自体が長いため、時間がないときには一番のネックとなる。
「こういう時って双子っていいよね。」
 サヤカがえへへっと笑う。
 アヤカとサヤカは一卵性双生児なのかかもしれないが、直筆は酷似していた。
 それは他人では識別できないのはもちろん、自分自身ですらも判断できない。
 悪用したことはないが、レポートで先生方の目を欺いてきた。
 悪用ではないのか?
 サヤカ曰く。『これは……悪用じゃない。緊急回避術だ。』
 教室の外から誰かの会話が聞こえてくる。
 2人は黙々と作業を続ける。
 5時少し過ぎにサヤカが考察を終え、5時半に完成をした。
「やっと終わったー。」
 サヤカは体をうんっと伸ばす。
「これからはちゃんと自分だけでやらないとダメだよ。」
「はーい。」


 アヤカは時計を見て、ため息をついた。
 部活に行くには少しばかり遅い時間だ。
 部活自体は7時までなのだが、今から行くのは少し気が引けた。
「……それ出したら帰ろっか。」
「あれ? 部活はいいの?」
「うん、たまには……サヤカと帰りたいからね。」
 不自然に、サヤカの動きが止まった。
「…………そっか、アヤちゃんとこの頃一緒に帰ってなかったもんね。」
 アヤカは少し不思議に感じた。
 普段明るいサヤカが、暗い表情を浮かべたのだ。
「……どうか、したの?」
「う、ううん。何でもないよ。」
 サヤカは首を大げさに横に振った。


 帰り道、サヤカはなんとなくアヤカに訊いてみた。
「ねぇ、もし私に彼氏が出来たらどうする?」
「……できたの?!」
 アヤカは目を真ん丸くしてサヤカを凝視した。
「もう、出来たらって訊いてるでしょ。」
「あ、そっか。」
「どう思う?」
「えっと……驚くと思うけど、ちょっと嬉しいな。」
「嬉しいの?」
 サヤカが変にむすっとした顔で訊く。
「だって、サヤカだったら、絶対優しい人選びそうだもんね。」
「ふーん。」
 納得したようでしていない、微妙な相槌を打つ。
「でも、やっぱりちょっと淋しいかな。」
「そうなの?」
「うん。」
 アヤカはすっかりと暗くなった空を見上げた。
「アヤちゃんでも淋しいことってあるんだ。」
 人通りの少ない道に入ったとき、サヤカはそう言って立ち止まった。
「どうしたの?」
「アヤちゃん、昨日も淋しくしてごめんね。」
「べ、別に謝らなくてもいいよ。」
「う〜ん、あ、そうだ! お詫びに良いおまじないしてあげるね。」
「おまじない?」
「いいからいいから。ちょっとあっち向いてて。」
 アヤカは言われるまま、後ろを向いた。
 サヤカは後ろで何かごそごそやっている。
「もういいよ。」
 何だろうと思いながらアヤカは向き直る。サヤカの顔がぶつかりそうな位置にあった。
 驚いて後ろに下がろうとしたときだった。
 アヤカの唇にサヤカの唇が柔らかく触れた。
「さ、サヤカ……なに……えっ……?」
 困惑するアヤカを見て、サヤカは微笑んだ。
「……アヤちゃんが淋しくならないためのおまじないだよ。」


 夕食後、サヤカはバスタブの中で下校時にアヤカと交わした唇の感触を思い出していた。今にも溶けてしまいそうなその感触は、過去の思い出を誘い、蘇らせようとする。
 サヤカは瞼を閉じ、誘いの示す道程に抗うことなく過去へ過去へと記憶の渦を辿っていった。
 曇りガラスのような霞んだ視界の先を目指していくと、もうこの世にはいない母親、香代子の姿が現れはじめる。
 徐々に徐々に糸を手繰り寄せていくかのように香代子との距離を縮めていく。
 朧気だった香代子の姿が鮮明になるに連れ、その上に重なるような格好でアヤカが浮かび上がってくる。
 それでも手を伸ばせる位置まで近付くと、そこにはもう香代子はおらず、気が付けば香代子の姿は完璧にアヤカのものへと移り変わっている。
 サヤカは瞼を開けた。
 天井の蛍光灯が発する淡い光が、眼球に優しく差し込んでくる。
 現実の世界でも、時々サヤカの目には香代子とアヤカが重なって映ることがあり、その意識は日に日に強くなっている。
 死によって時が止まってしまった香代子と日々成長を遂げるアヤカとの距離が、サヤカの心の中で少しずつ、しかし確実に縮まっているのだ。
 今日もそうだ。
 学校からの帰り道、突然アヤカが香代子に見えたのだ。
 そう思ったときには、もう衝動が抑えられなかった。
 自分の中にいる何かが呼び起こされた。
 全くの別人に身を委ねるような掴み所のない浮遊感を覚えた。
 何かに操られるかのように体が動いた。
 思いの他、違和感はなかった。
 言葉が自然と口から出た。
 希薄な感情。
 そして口付け。
 その瞬間、熱を孕んだ余韻がサヤカの身体を駆け巡った。
 何故あのような行動をしたのか自分でもわからない。
 確かにおまじないのキスは香代子がサヤカによくしてくれた。
 もちろんアヤカにも。
 それでもアヤカはアヤカであって、香代子ではない。
 わかっている。わかっているはずなのに。それでも……。
 サヤカは大きく息を吐きながら体をさらに深く湯に沈めた。


 榊香代子は夫、つまりアヤカとサヤカの父親である武男の誕生日に亡くなった。
 アヤカとサヤカが小学校に入ったばかりの頃に起きた出来事である。
 その日の夜、榊家では家族4人による武男の誕生パーティーが開かれた。
 普段よりも豪勢な食事をし、暗い室内でケーキを囲み、その日の主役がローソクの火を吹き消し、プレゼントが手渡される……。
 どこの家庭でも年中行事のように執り行われているありふれたものだ。
 例外があるとすれば、双子がいる分、他所の4人家族よりも年に行われる誕生日の宴食が1回少ないことだろうか。 
 香代子が腕を振るった料理を食べ終え、お待ち兼ねのケーキの時間がやって来た。アヤカとサヤカの期待に満ち溢れた視線は同じ方向を指している。
 戸棚に置かれている小綺麗に包装された箱は、先ほどから穴が空いてしまいそうなほど見入られている。
 テーブルに運ばれ包装が解かれると、待ちに待った円柱型のデコレーションケーキが姿を現した。
 だが、サヤカの顔からそれまでのはちきれそうな笑みは一瞬で消え、不満気な表情を浮かべて声を荒げた。
「イチゴがな〜い!」
 いつもは誰の誕生日であろうとイチゴの載った白い生クリームのケーキを頼んでいたのだが、今回は趣向を変えてみようと香代子は思い、チーズケーキを頼んだのだった。
 サヤカは口の中に広がる酸味と甘味を楽しみにしていたのだが、酸味の導がないと知ると顔を膨らませて駄々をこねた。
 武男はチーズケーキにはイチゴは載らないのだということを言い聞かせようとしたのだが、サヤカは聞く耳を持たず、ますます駄々をこね、とうとう涙声になった。
 アヤカもイチゴがなくてもおいしいことを拙い言葉ながらも懸命に説明したが、効果はなかった。
 一度決めたら頑と引かないサヤカに皆根負けして、イチゴを買ってくるまでケーキはお預けとなった。
 何にせよ、家族の誕生日は楽しく過ごしたいと武男と香代子は切に願っていた。
「よかったね、サヤカ」
 いつ泣き出すのか心配していたアヤカは宥めるように言った。
「イチゴ、イチゴ、うれし〜な!」
 今までの涙声が嘘であるかのようにサヤカの顔には笑みが広がっていた。
 最初は武男が買いに行こうとしたのだが、「今日はあなたが主役でしょ」と香代子は言って近所のスーパーマーケットへ歩いて向かった。
「とびっきり美味しいイチゴを買ってくるからね」
 それが榊香代子が家族に残した最後の言葉だった。


 原因はスピードオーバーだった。
 スーパーマーケットに行く途中にある交差点で信号待ちをしていた香代子にスポーツカーが突っ込んできたのだ。
 後の見識の結果、標識に書かれてある制限速度の2倍近くのスピードで走っていたことがわかった。
 車は香代子を撥ね、凄まじい勢いで電柱に衝突し、フロント部分を大破させて止まった。
 車内にいたのは若い男性ドライバーひとりで、救急車で病院に運ばれ緊急手術を受けたが、医療チームの努力も実らず間もなく息を引き取った。シートベルトを締めていなかったことが致命的だった。
 香代子もドライバーと同じ病院に運ばれた。
 知らせを受け、直ぐ様武男が病院に駆けつけたが、もう既に香代子は冷たくなっていた。


 アヤカは泣き続けた。文字通り涙が枯れるほど。
 泣き疲れて眠ってしまっても、閉じた瞳は薄っすらと涙を浮かべていた。
 アヤカは周囲に渦巻くあらゆるものを憎み、そして呪った。
 香代子を殺した車を、ドライバーを、救えなかった病院を、医者を、運命を、偶然を、世界を・・・・・・。
 憎悪は硬い殻となり、アヤカを取り囲んだ。
 孤独。
 このときアヤカは生まれてはじめて誰にも救うことのできない苦しみを味わい、背負った。
 サヤカは泣くのを堪えた。眼を真っ赤にし、顔をしかめてじっと我慢した。
 サヤカは自分自身に何度も言い聞かせた。
 自分の我がままのせいでお母さんは死んでしまったのだと。
 サヤカには雨音が聞こえていた。
 だが、窓の外を見ても雨など降っていない。
 香代子はサヤカにこう教えたことがある。
「雨は世界中の悲しみを癒すために泣いている神様の涙」であると。
 世界中の雨音が耳の中で響いているようにサヤカには感じられた。
 まるで世界中の雨が香代子のために降っているかのように。
 サヤカは香代子が死んでしまったことに対する責任の全てを背負い込もうとした。
 罪悪感がサヤカを激しく追い立てた。
 雨音はさらに夥しさを増していった。


 香代子の死から1日経った夜、アヤカとサヤカはベッドの中で抱き合った。
 どちらが誘ったわけでもない。
 まるで遥か彼方の精神世界で取り交わされる儀式のように無言で寄り添った。
 ベッドの中でふたりは互いの体温を、鼓動を、息遣いを感じた。
 そして心の痛みを手に取るように理解し、分かち合った。
 アヤカはサヤカの心を。
 サヤカはアヤカの心を。
 気が付くと朝日が差し込んでいた。
 いつの間にかふたりとも抱き合ったまま眠っていたのだ。
 サヤカの耳の中で鳴り響いていた雨は、もうどこかに消えていた。


 葬式の数日後、武男は長期の海外出張へと赴いた。
 元々海外出張の多かった武男だが、この出来事を境にして日本にいる時間はさらに少なくなった。
 まるで美しい思い出と忌まわしい悲劇から逃げるかのように。
 誕生日に妻の命日が重なって以来、10年以上経った今でも必ず海を渡った他国でその日を迎えている。
 母親が亡くなり父親の不在が多くなったことで、榊家の雑務は住み込みの家政婦がこなすようになったが、ふたりが高校に入学すると同時に雇うこともなくなった。


 水面に映る不鮮明な自分の表情を眺めながらサヤカは思った。
 高校を卒業したら、アヤちゃんとはもう一緒にいられないのかも。
 サヤカは自分の人生とは別の道を歩んでいくアヤカの姿を思い浮かべてみた。
 彼氏ができたら、仕事に就いたら、結婚したら、子供が生まれたら……。
 想像を巡らせると、どんどんアヤカが遠ざかっていくように感じられた。
「……お母さん……」
 サヤカは思わず呟いた。
 その言葉を発した途端、急に目頭が熱くなった。
 瞳が潤み、視界はぼやけ、肩が小刻みに震えた。
 頬を伝い滴り落ちていく雫が、水面にいくつもの波紋をつくった。


 夕食後、アヤカは机にむかって座っていた。
 机の上には教科書やノートが開かれている。
 ここまではいつもとなんら変わらぬ光景。
 ただ1つ、いつもと違うのはアヤカの目が虚空をとらえていること。
 何であんなことしたんだろう……
 アヤカが考えているのはもちろん帰り道でのサヤカとのキス。
 思い当たることが1つだけある。
 キスする前にサヤカが発した言葉。
『淋しくならないためのおまじない』
 そう、これは昔母の香代子が自分たちによくしてくれていたものに似ている。
 香代子はアヤカとサヤカをおいて出かけるとき、よくキスをしてくれた。
 あの事故の日も、玄関まで見送りに出たアヤカとサヤカにキスしてくれた。
 しかし、それはいつも『おでこ』に、だった。
 当然といえば当然だが、決して唇と唇をあわせるようなことはなかった。
 じゃあどうしてサヤカは……
 アヤカは自分の唇にそっと触れてみた。
 頬が火照るのをおさえきれなかった。


 ビュッ!!
 ダンッ!!
「どうしたの?アヤカ?今日は調子悪いじゃない。」
「うん……そうみたいね。」
 次の日の放課後、アヤカは弓道場で弓を射っていた。
 弓道は心の乱れがそのまま反映されてしまうスポーツだ。
 アヤカの矢はことごとく的をはずれていた。
「ゴメン。今日はもう帰るわ。」
「具合でも悪いの?」
「ううん、大丈夫。たぶんちょっと疲れてるんだと思う。」
「そう。ならいいけど。それじゃ、また明日ね。」
「バイバイ。」
 アヤカはそう言って弓道場を後にした。


「アヤ〜!!」
 校門を出てノロノロと歩いていると後ろから声が聞こえた。
 アヤカが振り返るとさっきまでアヤカと一緒に弓を射っていた桜井健吾が走ってくるのが見えた。
 控えめなアヤカにとって桜井は数少ない男友達の1人である。
「どうしたの?桜井くん。まだ部活終わってないでしょ?」
「い、いや、オレもちょっと用があってさ。」
「そう。」
 アヤカはさほど興味を示さず歩き出したので、桜井もそれに倣った。
「何か悩み事でもあるのか?」
「え?」
「矢は正直だからさ。それに、今もぼーっとしてた。らしくないぜ。」
「別にたいしたことじゃないよ。」
 アヤカは笑顔で言った。
「ならいいけど、何かあるんだったら言ってくれよ。オレみたいなやつでも少しは役にたつかもしれないし。」
「ありがとう。」
 しかし、横に桜井がいるにもかかわらず、またアヤカはうつむき加減でぼーっとしだした。
 ドンッ!!
「イタッ……あれ?」
 いつの間にか桜井が目の前に立っていた。
「おまえ電柱とキスでもしたいわけ?」
 確かに桜井の後ろで、電柱が空へと伸びていた。
 しかし、アヤカは桜井が冗談で使った『キス』という言葉にドキッとして、それどころではなかった。
 うつむいてしまったアヤカを見て、桜井は一度大きく息をつくと、電柱に背をもたれながらしゃべりだした。
「あのさ、オレ、アヤの力になりたいんだ。アヤが何に悩んでるのかわかんないけど、オレにできることがあったらなんでもするよ。オレ、アヤのこと、好きなんだ。」
 キス、キス、キス……と頭の中をキスという単語でいっぱいにしていたアヤカは反応が遅れた。
「………………えっ?」
 ようやく『好き』という言葉の意味を理解したアヤカがまん丸になった目で桜井を見つめると、桜井は照れたような笑いを浮かべて
「いつでも相談にのるから。じゃあな。」
 それだけ言い残し、走って行ってしまった。
 スキ?キス?スキ?キス?スキ?キス?……
 ひとしきり混乱した後、立ち尽くすアヤカの頭の中を駆け巡る言葉は『好き』へとかわってしまっていた。
 桜井くんが・・・?
 私のことを・・・?
 サヤカじゃなくて私のことを・・・スキ?
 アヤカはしばらく動くことができなかった。
 人にスキと言ったことも無ければ、言われたことも無かったアヤカにとっては、まったく免疫の無い出来事であった。
 サヤカがアヤカと一緒にいたときに、サヤカが告白をされるのを何回か見たことはある。
 しかし、自分に告白をしてくる者がいようとは思ってもいなかった。
 いきなりの出来事に、優秀なアヤカの思考回路は停止し、ただただ立ち尽くすしかなかった・・・。


「あれ?あそこにいるのアヤカじゃない?」
 ゆっちゃんが指差す方向には確かに自分の双子の姉であるアヤカがいた。
「ん?今日って部活休みじゃないよね?」
「うん、やってるはずだよ。って、サボったあたしが言えることじゃないけどね」
「あはははは」
 ひとしきり笑った後で、私たちはアヤカに近づいた。
「アヤカ〜。・・・アヤカ〜?」
 ?
 声をかけても返事が無い・・・。
 ただの屍のようだ・・・。
・・・じゃなくて、アヤカは電柱の前でぼ〜っと立ちすくんでいた。
「ア〜ヤカ?ア〜ヤ〜カ〜!」
「・・・ほへ?」
やっと気がついたようだ。
「どうしたの?なんかあった?」
 ゆっちゃんがそう尋ねると、アヤカはなぜか頬を赤らめながら、慌てて首を横に振った。
「な、なんでもないよ。ちょっと考え事してただけだよ」
「ふ〜ん・・・」
 どうみても怪しい・・・。
 部活の後というわけでもないのに、なぜか額には汗が浮かんできている・・・。
 アヤカは隠し事ができないというのは、生まれたときから一緒であるサヤカにはわかりきったことであった。
 しかし、いつもならサヤカにもゆっちゃんにも隠し事はしないのに、今のアヤカは必死になって隠そうとしている・・・。
 なんだろう・・・?
 その後、アヤカに話をすりかえられて、サヤカたちは三人でしゃべりながら帰っていった。


 いつもならすぐに訪れる眠気が来なかった。
 体が火照り、胸の大きな鼓動が静まらない。
 微妙な熱で気持ち悪くなった枕を裏返し、冷たい方を表にする。
 だが、その冷たさも、火照りを冷ますのには不十分であり、すぐに暖かくなった。
 眠れない……。
 窓に目を向けると、外はただ暗いだけで、月は出ていないようだ。
 そっと唇に触れてみる。
 昨日、サヤカのものと重なった唇。
 頭にキスの瞬間が思い描かれる。あそこまで顔って近づくものなんだ……。
 ぼんやりとそれを考えているうち、ふとその考えが派生する。
 もし、あれがサヤカではなく、桜井だったなら……。
「や、やだ……そんなこと……」
 火照っていた体が、更に熱が加わる。
 汗は出てはいないが、もう体感温度はかなり高い。
 心拍は増え、脳はこれから寝るということを忘れてしまう。
 アヤカは大きな溜め息をついた。時を刻む音が孤独に聞こえてくる。
 ベッドに入って、もう1時間くらい経つのかも知れない。
 少し早めに寝たけれど、この様子だと多分寝不足になるだろう。
 深呼吸をして、とりあえず何とかして寝付けるように努力する。
 しかし、一度覚醒してしまった脳はそうそう眠ることを許さない。
 アヤカは今眠ることを諦め、気分転換にとベッドから抜け出した。
 階段を下り、キッチンに向かう。
 適当なカップに、アールグレイのハーブティーをポットから注ぐ。
 澄んだ香りがカップからふわっと出てくる。
 椅子に座り、ふう、と一息つき、それから飲む。
 普通の水とはほんの少し違った味が美味しい。
 カップを置き、再びハーブティーを注ぐ。
 と、階段からパタパタとスリッパ音が響いてきた。
 入り口のほうを見ていると、「こんな時間に何やってるの?」と言うような顔をしたサヤカが来た。
「こんな時間に何やってるの?」
「ん……ちょっとね。」
「ふーん。」
 サヤカは冷蔵庫を開け、ピースチーズの一切れをを取り出す。
「あっ、そうだ。アヤカに聞きたいことあったんだ。」
 椅子に座り、チーズの包みを綺麗に除けながら言った。
「今日の帰り、何か慌ててたみたいだけど、何かあったの?」
 ぴたりとアヤカの動きが止まる。見る見るうちに顔が赤らんでいく。
「えっ……あっ……な、何もなかったよ(汗)」
「え〜、もうすっごく慌ててるじゃない。」
「も、もう……と、突然言うから、そ、そう……えっと……(滝汗)」
 ああ、何て分かりやすい姉なんだと、サヤカは感心した。
「……観念しなさい。」
「……はい。」


 思い出すこと自体に恥ずかしかったのか、アヤカの話は中々進まなかった。
 だが、サヤカもそう鈍いわけでもない。何を言いたいのかは大体把握した。
「……というわけなの。」
 アヤカは真っ赤な顔を俯けていた。
 よほど恥ずかしかったのだろう。体をもじもじさせ、いかにもと言う感じだ。
 その姿を、サヤカはとても楽しそうに見ていた。
「えっと……どうすれば、いいかな?」
 サヤカはコクリと頷いた。
「ダメもとで付き合ってみたらどうかな。」
「……やっぱり、そうしたほうがいい?」
 アヤカが身を乗り出してくる。
 危うくハーブティーの入ったカップが倒れるところであった。
「私、告白されたのって、これが初めてだから……。」
「見てたら分かるよ。」
「それに……」
「……それに?」
・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
「そ、その…………あう〜。」
 あまりの恥ずかしさに頭がパンクしそうになる。
 頭を抑えて一生懸命横に振るアヤカを見て、サヤカはまた微笑んだ。
「アヤちゃん可愛い〜♪」
「も、もう……か、からかわないでよ。」
「だって……。」
 サヤカは腕を伸ばし、アヤカの頭を撫でた。
「……明日、頑張って来る。」
 アヤカは恥ずかしがりながらも、笑いながら言った。
 サヤカも笑いながら首を縦に振った。
「なんだかどっちがお姉ちゃんか分からなくなっちゃったね。」
「……だって、私たち双子だもん。」


「……もしもし、俺だ、桜井だ。そっちは予定通り進んでいるか?そうか、俺の方も今のところは順調だ。これで出足はうまくいったと言えるな。だが油断するなよ。まだはじまったばかりだ。俺もそうだが、お前も気を抜くなよ。……そうだな、それは充分承知している。何しろ、あの双子に直接関わるのは俺だからな。彼女たちに危害が加わらぬよう細心の注意を払っている。……まあな、確かに俺たちは近寄るべきではなかったのかもしれないな。それでも計画を成し遂げるためにはあの双子にどうしても協力してもらわなければならない。それにもう後戻りはできない。残されえた時間もそう多くはない。まあどちらにせよ、もしこの計画が失敗したら、彼女たちにも少なからず不幸が巡ってくることになるのだからな。そのためにも、俺のできることは全てやる。……ああ、じゃあな。検討を祈る」


「おはよう〜。」
「おはよう……って、どうしたの!?その顔!?」
 そこには目の下にすごい隈をつくった『サヤカ』の姿があった。
「え?何?」
 まだ顔を洗っていないサヤカはわけがわからないという顔をした。
「鏡見てみなよ。」
 そう言われたサヤカはノソノソと洗面所に向かった。
 鏡を見たサヤカは一度目を大きく見開き、その後、力なく微笑んだ。
 そして、鏡に映った自分の頬にそっと手をのばした。
「ひどい顔……」
 それもそのはず、昨夜アヤカと別れてから……


 パタン
 サヤカは後ろ手にドアを閉めると、ベッドに倒れこんだ。
 あたし、どうしたらいいの……?
 さっきは我ながらうまく演技できたと思う。
 でも、このまま理解ある妹を演じ続ける自信がない。
 本当は誰ともつきあってなんかほしくない。
 彼氏なんかいらない、そう言ってほしかった。
 おととい、あたしとキスしたことなんて忘れてしまってるのかも……
 サヤカは涙が出そうになるのを懸命にこらえていた。
 ずっと一緒にいたい。
 誰にも渡したくない。
 あたしだけを見ていてほしい。
 あたしが今まで告白されても誰ともつきあわなかったのは……
 話の途中で何度も言いそうになった。
 ……でも、言えなかった。
 あんなに嬉しそうにしているアヤカの顔をサヤカは見た事がなかった。
 じゃあ、あたしはどうしたらいいんだろう……?
 何度も何度も自分に問いかけ、サヤカは朝まで眠ることができなかった。


「はぁ・・・」
 サヤカは一つため息をついて、もう一度自分の顔にできた隈を指でなぞってみた・・・。
 しかし、触ったりこすったりしてもおちるわけが無く、隈はまるでサヤカの心をうつすかのように黒くできていた。
 こんな顔では学校に行けないな・・・。

 洗面所から出ると、なにやらおいしそうなにおいがただよってきた。
 キッチンではアヤカが鼻歌をうたいながら料理をしている。
 しかしアヤカは普段着のままだ・・・。
 いつもならもう制服に着替えてるはずなのに・・・。
あれ・・・?
 今日って日曜・・・?
 ふとサヤカは疑問に思い、カレンダーを覗き込む。
 しかし今日は平日である。
・・・? 
「ねぇ、アヤカ・・・」
「ん?何?」
 アヤカはコンロの火を止め、サヤカの方を向いた。
 よく見るといつもとは違い、料理に手が込んでいる・・・。
 朝から料理をまともに作るのは休日だけのはずなのに・・・。
「今日学校は・・・?」
 サヤカがきくと、アヤカは不思議そうな顔と呆れ顔のちょうど中間ぐらいの顔をした。
 何・・・?
 私何か変なこときいた・・・?
 サヤカは少し・・・いや、かなりあせって考え始めた。
「え、あれ、だって今日は平日だよ。日曜でも休日でも・・・あ!」
「やっと思い出した?」
「うん、創立記念日だったね。」
 そうだった。
 学校の創立記念日であった。
「そっか〜。だから朝から手の込んだ料理を作ってたんだね。」
「そうよ〜。しかも今日のは自信作!」
 そう言ってアヤカはまたキッチンに戻っていった。
 そうか・・・今日は休み・・・。
 良かった・・・。
 もう一度自分の目の下を指でなぞり、安堵のため息をついた。
 はぁ〜、安心したらお腹すいちゃったな・・・。
「ねぇ、アヤカ。自信作って結局何作ってるの?」
 ぴたりと、鍋の中身をかき回していたアヤカの手が止まった。
「そ、それは……。」
「それは?」
「…………出来てからのお楽しみだよ♪」
 ふと、サヤカはテーブルの上にあった一つの鍋が気にかかった。
 普段、2人だけの生活では滅多に……いや、使ったことの無い圧力鍋であった。
 なんだろう、ということしか考えず、蓋を取る。
 縦長の鍋を立てって見下ろした途端、目が丸くなった。
 ……なにこれ?
 中にあったのは溢れんばかりの熱湯であった。
 圧力鍋のぎりぎりにまで入れてあり、少しでも動かすと熱湯が飛散してしまうほどだ。
 何かのスープでも作っているのかな、と思ったが、中には何も入ってはいない。
 ……なんだろう、底が黒いような。
 蒸気が薄くなってくるにつれ、底のほうもはっきりと見えるようになってきた。
 そして再びサヤカは目を丸くした。
 底が黒い原因。それは中にどこから持ってきたのかと聞きたくなるほどの大量の黒胡麻であった。
 サヤカは目を擦った。見間違いか?
 しかし、深い位置にあるとはいえ、到底小豆には見えない。
 本当に胡麻かどうか確かめるべく、サヤカは御玉を取り出した。
 だが、この御玉では深い圧力鍋の底には届きそうにも無かった。
 別の長い何か探したが、ハンドミキサーしか見つからなかった。
 あ、そうだ。このハンドミキサーを使って攪拌すれば、胡麻なら浮いてくるかも。
 御玉でかき回せば良いものを、わざわざハンドミキサーを使ってかき回すことにした。
 早速、電源を入れ、スイッチオン。
 勢い良く回転が始まったところであった。
 ウィィン……ジャポン。
 サヤカの目はもう真円に近づきそうなくらい、丸くなった。
 上手く攪拌部がセットされていなかったのか、抜け落ち、深い深い黒い胡麻の中へとダイブしていった。
 や、やばいわ……。
 さっとアヤカの方を見ると、気づいていないのか、鍋をひたすら掻き混ぜていた。
 サヤカは急いでハンドミキサーをしまい、弾け飛んだ水をふき取る。
「あ、アヤカ、居間にいるから、出来たら呼んでね。」
「うん。分かった。一生懸命作ってるからね。」
 そそくさと、肩幅を小さくしてサヤカはキッチンをあとにした。
 ごめん、アヤカ……と、心の中で謝りながら居間の電気をつけた。
 トゥルルル……トゥルルル……。
 近くにあったため、反射的に受話器を取った。
「はい、榊ですけど。」
「あ、桜井です。えっと……サヤカかな?」
「うん、そうだけど……アヤに用?」
「えっ……あっ……そ、そうだよ。」
 電話の向こうで桜井が慌てている様子が目に浮かんだ。
 ちょっと面白いと思った。
「アヤから何か聞いた……かな?」
「ん〜、別に何も聞いてないよ。」
「そ、そうなんだ。それじゃあ、アヤと換わってくれないか?」
「うん、分かった。」
 サヤカは耳から受話器を離すと、大声でアヤカはもちろん、桜井にも聞こえるように言った。
「アヤ〜〜〜桜井からデートの誘いが来たよ〜〜〜。」
 その刹那、勢い良くアヤカが飛び出してきた。
「そんなこと、大声で言わないでよ!」
 顔を真っ赤にして叫ぶ声をサヤカは何故かとても可愛らしいと感じた。
 サヤカから受話器を奪い、そして手で口を隠すようにひそひそと話し始めた。
 話はすぐに終わり、サヤカは聞く耳を立てることが出来なかった。
「さてと、もう少しで出来上がりだからね。」
 アヤカはそう言い残してキッチンへと帰っていった。
 残されたサヤカは何かが引っ掛かっていた。
 2人とも、もしかしてとっても進行してない?
 でも、それだと、ちょっとおかしい。
 桜井が告白したのは昨日の帰り。そのままだと、進行も何もない。
 昨日の夜まで、アヤカはずっと悩んでた。
 となると……。
 サヤカは電話のリダイヤルボタンを押した。
 トゥルルル……ガチャ。
「ん、俺だけど。アヤ、何かあったのかい?」
 桜井の声が聞こえた瞬間、サヤカは思った。
 やられた……アヤカがここまで手が早いなんて……。
 リダイヤルを押して桜井の電話に繋がったということは、今日の朝一番にアヤカが電話をかけたということになる。
「アヤ?」
 何も喋らないのに疑問を思ったのか、桜井が問いかけてくる。
 サヤカは気持ちを抑えて受話器に向かった。
「あ、ごめんね。ちょっとサヤカが中々向こうに行かなくて……。それで、ちょっと忘れちゃったんだけど、どこで待ち合わせだっけ?」
「あはは。自分から誘って忘れるなんてやっぱりアヤらしいな。」
 ……アヤから誘ったんだ。
「えへへ、そんなことないよ。」
「今日は2人でディズニーシーに行くんじゃないか。」
「あっ、そうだったね、ありがと。じゃあ、頑張ってお弁当作って行くね。」
「楽しみにしてるよ。」
 サヤカはガンッと柱を殴った。
 今日の頑張りは私のためじゃなくて、桜井なんかのために?
 ……胡麻当たらなくて良かった!
「でも、アヤとサヤカって声似てるよな。さっきはちょっと違うと思ったんだけどな。」
「やっぱり双子だから……。」
 だって、私、サヤカだもん。
 電話を切ったところで、アヤカにキッチンへと呼ばれた。
 今日はこれからどうしようかな……と、サヤカは悪戯な笑みを浮かべた。


「……もしもし、俺だ、桜井だ。……ああ、今のところおおむね順調だ。ただ、計画が少々早まりそうだ。むこうのほうから誘ってくるとはな。……しかし、あの双子の結びつき、思っていた以上に強いようだ。例の計画は今日中に決行するつもりだが、少し変更したい点がある。……話が早いな。そう、お前にも一肌脱いでもらいたい。……やりかたはまかせる。ただし、くれぐれも慎重にな。それじゃあ、後のことはよろしく頼む。うまくやれよ。」


「それじゃあ行ってくるわね。留守番お願い。」
 アヤカはとてつもなく大きな重箱を持ち、めったに着ることのないよそ行きの服を着て出て行った。
 ニヤリ・・・
 サヤカは思いっきりにやけて、自分の部屋へと向かった。
 そして自分の部屋に戻るとさっさと服を着替え、この前カラオケに行くときに買った伊達メガネをつけた。
 この間たったの一分。
 いつもだらだらと時間をかけて着替える姿からは想像もできない早さであった。
 変装完了、絶対にばれないわ。
 鏡に映った自分の姿に自信を得ると、サヤカは家を出た。
 しかし、すでにアヤカの姿はどこにもなく、あたりには学校に行く小学生でいっぱいであった。
 しまった・・・見失っちゃった・・・。
 あえなくサヤカの探偵は終了かと思われたその時であった。
「あら、サヤちゃんおはよう。」
 キキィーっという自転車のブレーキ独特の音をたてて、だれかがサヤカに話し掛けてきた。
よく太った身体。
いつもつけているエプロン。
そしていろんな方向にカールしている髪。
見間違えることなく、それは近所の八百屋「八百忠」の奥さんであった。
 八百忠はいつも野菜を安くしてくれる店で、アヤカもサヤカも常連である。
 さらにその八百屋は駅の近くで・・・
 駅・・・?
 そうだ!駅で待ち合わせしているのかも!
「おはようございますぅ。ところでアヤカ見ませんでした?」
「アヤちゃん?そういえば駅の方に歩いていたわねぇ。」
「ありがとおばさん♪また買いに行くからね♪」
 そういってサヤカは駅に向かって駆け出していった。
 八百屋のおばさんに一発で変装がばれたことにも気付かずに・・・。



 ここまでする必要は無かったんじゃないかと、罪の意識に悩まされる。
 アヤカへの告白自体に、何も意味は無かった。
 ただ、アヤカを操作することによって、サヤカも同時に操れると考えたからだ。
 だが、この二人をここまでして何が嬉しいのだろうか?
 本来ならば、この事件は俺たちが解決すべき問題であった。
 彼女たちは無関係ということはないが、関係する必要はない。
 しかし、二人の接触にここまでの時間を要してしまい、すでに手遅れとなった。
 もはや、彼女たちに危害を及ぼさず、これを解決することは不可能だ。
「今日しかない……」
 今まで彼女たちが何も知らずにいたのは良かった。
 もし、下手な動きをされれば、もうすでに命が消されていたのかも知れないのだから。
 一体どのような服装がデート向きなのかは分からないが、とりあえず適当に着る。
 もう準備に抜かりはない。


 少し悪いことをしちゃったのかも知れない……。
 駅での待ち合わせ時刻よりも20分も早く着いたアヤカは、近くのベンチへと座った。
 サヤカには何も言わずにここへ来てしまったことを後悔していた。
 今頃サヤカは一体何をしてるんだろうか……。
 最近のサヤカは段々と私を追い抜いているような気がする。
 未だに、私は一人ぼっちになるかも知れないという気持ちがあった。
 少しでも、ほんの少しでもいいから……この気持ちを取り除きたかった。
 姉のように、母のように振舞っているが、まだまだ私も子供だ。
 代償行動としての桜井の選択。
 今、胸は高鳴っている。だが、これは恋をしているからではない。
 他人からすれば、そうなのかもしれないが、そういう気持ちじゃない。
 ただ、サヤカと一緒にいるための私がとった方法。
 私が少しでも社会的に上であるとき、サヤカは常に私のそばにいる気がする。
 桜井に電話をし、約束を取り交わしたあとに、疑問が頭に浮かんだ。
 本当に桜井が好きなのかと。
 現時点で、自分に嘘をつかず、YESかNOかの二択で言うと、おそらくはNOであろう。
 だけど、もしかしたら、今日その気持ちが変わるのかもしれない。
 デートなんて初体験。男と二人きりなるのなんて初めて。
 自分の気持ちがどう変わるかなんて、誰も……私でも予想なんて出来ない。


「やっと来たわね。」
 電信柱の影に、新聞紙と眼鏡に帽子という、あからさまな格好のサヤカがいた。
 通学中の学生やサラリーマンの人から当たり前の様に注目されながら、アヤカを監視していた。
 今は、ちょうど桜井が来たところだった。
 何を話しているのかはわからないが、とりあえずはそのままディズニーシー行きの電車へと乗った。
 もちろんサヤカもそれに乗った。
 多少、時間はずれているものの、やはり朝の電車は混雑している。
 揺られること数十分。なんとか電車から脱出することが出来た。
 しかも、運が良いことに、アヤカたちの後ろという、ベストポジションにいた。
 これでなんとか最大の難所は乗り越えたことになる。
 他にも、立ち寄ったコンビニやバスなども、辛うじて超えていった。
 一体、何がサヤカをここまでさせるのだろうか?
 とにかく、平日の遊園地という、非常に空いた場所へ到着した。
 地方の遊園地ほどではないにしろ、やはり土日祝日よりかは確実に人気は少ない。
「わ〜やっぱり出来たばかりだから、とっても綺麗〜♪」
 久しぶりの遊園地ということもあって、アヤカはやや興奮気味だ。
 桜井は何度か来た事があるらしく、アヤカのこの姿を見て楽しんでいる。
「さて、じゃあどこか行きたいところない?」
「う〜ん、じゃあ……」
 アヤカは手に持っていたマップ上を指差した。
「よし、ここはあの道から行ったら近いね。」
 楽しむことを最優先に……今、何かを考えていても仕方がない。
 とにかく、この楽しい時間がゆっくりと過ぎてように、と思いながら。
 3人はそれぞれ違う考えで、この時間を過ごす。



「おい、例のブツはお持ちいただけましたか?」
「ああ。もちろんだ。そっちこそ金は用意できたのか?」
「当然です。」
「まずは金を見せてもらおうか?」
「くっくっく……」
「何がおかしい!?」
「ブツを見せるのが先でしょう。」
「ばかな!!この取引が失敗して困るのは貴様らだろう?」
「そのセリフ、そっくりそのままお返ししますよ。」
「どういう意味だ?」
「こういう意味です。」
 男がパチンと指をならすとモニターに映像が映し出された。
「……アヤカ!?」
 そこには同級生くらいの男と並んで歩くアヤカの姿が映し出されていた。
「くっくっく。驚くのはまだ早いですよ。」
 そう言って男はまた指をならした。
「サヤカまで!?」
 妙な格好をしていたが、それは確かにサヤカだった。
「これが何を意味するか、わからないなんて言いませんよね、『お父さん』?」
「ぐっ……」
 榊武男は唇をかみしめた。


 ざわざわ・・・
 駅を出るとすでに日は沈み、駅前は学校帰りの学生や会社帰りのサラリーマンで溢れていた。
「今日はとっても楽しかった〜。ありがとう桜井君。」
「どういたしまして。」
 何気ない会話をしながら駅を出て行く二人と並んで、大きな袋をたくさん持ったサヤカも出てきた。
 さすがにあの変装では騙しきれなく、あえなくディズニーシーで発見されてしまい、結局一緒に楽しんだのである。
「それにしてもなんでそんな変装してついてきたの?一緒に行きたいならそう言ってくれればよかったのに・・・」
「そうだよ。言ってくれれば・・・」
 桜井もアヤカの意見と同じらしい・・・
 サヤカははぁ〜っと深いため息をついて、二人を見た。
 どうやら本気で言ってるようだ。
 何を考えているのやら・・・
 お子ちゃまなのね・・・
「まぁ、ね・・・。今度からはちゃんと言うわ。」
 サヤカはあきらめて、わざと明るく振舞いそう言った。
 確かにアヤカと桜井君がくっつくのはあまり気が進まなかったけど、ここまで何の意識も無いと逆にがっかりしてしまったのだ・・・
「そろそろ帰ろうか。家まで送るよ。」
「あ、あたしはちょっと寄るところがあるから・・・じゃあね〜」
「ちょ、ちょっと〜!」
 アヤカの制止も聞かずに、サヤカはどこかにいってしまった。
「じゃあ帰ろっか。」
「う、うん」


 私は我慢したほうだ。
 そう自分に言い聞かせないと、居た堪れなくなってしまう。
 ほんの少し前までは心の片隅にあったものが、今では全体に広がろうとしていた。
 自分は……もしかしたら、取り返しのつかないことをしてしまったのかも知れない。
 サヤカのことは私が一番よく知っていると思う。
 好きな食べ物や好きな動物、好きな音楽に好きな服。
 数えれない程、私はサヤカの事を理解している。
 私たちは普通の姉妹なんかじゃない。この世に同時に生を受けた双子なんだ。
 だから分かるのかも知れない。だから通じ合えるのかも知れない。
「アヤカ、どうかした?」
 やや寒気を感じる夜の公園は、一つの電灯でぼんやりと照らされていた。
 ここに到着して三十分。二人はほとんど会話をせず、ベンチにただ座っていた。
 アヤカが塞ぎ込むように考え始めたからだ。
 あまり良い考えをしていないのは、暗い表情を見れば分かる。
「ううん……なんでもない。」
「……本当に?」
 桜井はアヤカの方へ体を寄せた。
 それからアヤカの肩を引き寄せ、強く抱いた。
 アヤカは、何も抵抗はしなかった。
 徐に顔をあげると、桜井の何気もない表情が見えた。
 目と目が合う。桜井は軽く頭を立てに振った。
 アヤカは迷いに縋る瞳を閉じた。
 より強く体を引き寄せ、桜井はアヤカの唇に自分の唇を瞬きの間、重ねた。


「帰ろっか……。」
 星空を見上げながら、アヤカは言った。
 時間はもう8時を過ぎていた。
 当然のように、桜井はアヤカを家の前まで送って行く。
 アヤカは……明るかった。何かを決めることが出来たのだろう。
 桜井はこれを嬉しく思った。
「アヤカ、また明日な。」
「うん、おやすみなさい。」
「おやすみ。」
 桜井が視界から消えると、アヤカは緊張の糸が切れたのか、急に脱力感を感じた。
 もう……きょうはくたくた……。
 アヤカは空を見上げた。
 先ほどまで輝いていた星が雲で隠れてしまっていた。
「そっか……今日の夜くらいから雨なんだ……。」
 そう呟きながら、玄関の扉を開け、中に入ったときだった。
 暗闇に浮かぶ大きな人影が目に入ると同時に、強い力で腕を掴まれ、引き寄せられた。
 声を出すまもなく、手で口を塞がれた。
「んん……!!」
 叫ぼうと試みるが、普通の大人よりも確実に大きな手は空気の振動をアヤカの口腔内で留めた。
 突如とし出来事に加え、あまりにも違いすぎる力。抵抗は出来なかった。
 大きな物音をたてようとしても、動きが完全に封じられたいた。
 いつしか手首にはひも状のものが巻きつけられた感触があった。


 友達へお土産を渡し、カラオケの誘いを断ったあと、サヤカは目的も無しにただ歩いていた。
 平日であるため、会社帰りの人や学生らで道は混雑していた。
 その中にはもちろんカップルはいるものの、数は休日よりも遥かに少ない。
 それでも、なぜか彼らばかりに目が向き、気が沈んだ。
 とぼとぼと歩き、たどり着いたのは先ほどアヤカと別れた駅であった。
 ほんの一時間前……なのに、本当に長い時間会っていない気がする。
「……はぁ、私、何やってんだろ……。」
 立ち止まり、次々と駅から出入りする人々を見ながら呟いた。
 今、自分がしているのは嫉妬だ。自分だけのアヤカを簡単に攫っていった桜井に対する嫉妬だ。
 どうして、どうしてアヤカは私ではなく、桜井をとったのだろう。
 私のほうが一緒にいた時間も長ければ、互いのことを深くまで知っている。
 そして、どれだけ私がアヤカ好きだと言うことを証明し、伝えたあの日。
 アヤカは……私のことをどう想っているのだろう……。
 ただの双子だけじゃなくて……と、その時の事。
「君、榊アヤカ?」
 低い男の声を聞き、サヤカが振り向いた先には、二人のガラの悪そうな男がいた。
 一人はサヤカよりも遥かに大きい、いわゆる巨漢な人であった。
 もう一人は女性としては比較的小さい分類に入るサヤカよりも小さく、なぜかにやにやしている。
 この二人、見た目が物凄く怪しい。顔からして、何度も警察のお世話になっていそうだ。
 と、サヤカが考えていると、小さい方の男がサヤカの腕を掴んだ。
「ちょ、ちょっと何!?」
 急いで手を振り払い、二人と距離を取る。
「な、なにするのよ。」
「うるせぇ、ごちゃごちゃ言わずに早く来るんだよ!」
「私はあんた達みたいなのは知らないわよ!」
「榊アヤカなんだろ?それだけで俺たちは用があんだよ!!」
「ど、どういう意味よ。」
 間違いなく、私は変なことに巻き込まれていると思った。
 二人の態度から見て、アヤカがこいつらの知り合いであるはずがない。
 アヤカが何か善からぬことをしたのだろうか?
「…………有り得ない。」
「あぁ?」
 ぼそっと言った声なのに、聞こえてしまったようだ。
 この小さいの、とっても地獄耳のようだ。
 だが、こんな細かいことはどうでもいい。理由はともかく、アヤカが狙われているのだ。
 この緊急時でも不思議とサヤカは冷静であった。
 落ち着いた状況であれば、どんなときでも最良の判断が出来る。
 今のアヤカがたとえ自分を選んでいなくても、アヤカを差し出すことなんて出来なかった。
 ではどうすればいいのか。サヤカは簡単に考えた。
 アヤカを連れて、どこかで保護してもらえばいいのだ。
 サヤカは頷いた。
「分かった。何もしないって言うのなら行く。」
「賢明な判断だな、イヒヒ。」
 前に小さくて気持ち悪い方が歩き、後ろに巨漢の男という位置でサヤカは二人に連れて行かれていった。
 周りをさり気無く見回すが、辺りは混雑していて車を車道に停めれる所は無さそうだった。
 とすると、この近くに連れて行かれるのだろうか。それとも、車を駐車場に停めているのだろうか。
 サヤカにしてみれば、後者の方がありがたかった。今考えている作戦が成功しやすいからだ。
 ……前の男がぶつぶつと何か独り言を言っている。
 周りの雑音で聞き取りにくいが、何とか聞き取ってみる。
「イヒヒイヒヒ……」
・・・・・・・・・
「ゲヘヘゲヘヘ……」
・・・・・・・・・
「女子高生だぁ……ゲヘヘ」
 ううっ気持ち悪い。あんまり近くにいると、変な目で見られそうだ。
 こんな変な男二人と一緒に歩いてるんだから、もう見られてるかも……。
 しばらく歩いているが、まだ人込みの中で到着する気配はない。
 あまり遅くなりすぎるのも良くないかも知れない。
 と、ここでまっすぐ歩いていたところを左に曲がった。
 そこは某大型デパートの駐車場だった。
「さっさと乗れ。」
 サヤカがちょっぴり驚くほど車は微妙に高級そうだった。
 だけど、この変態男の言うとおりに乗ってしまえばそれこそ誘拐されてしまう。
 といわけで、ここで自分の演技力が試される。
 引っ掛かりやすそうなちっこいほうの男をチョイス。
 ぐいぐいと襟を引っ張り、小声でちょっとしたお願いをする。
「ね、ね、いいでしょ?」
「し、し、仕方ねぇな。おい、ちょっとここで待ってろ。」
 サヤカの相談を聞くやいなや、即座に了承。
 巨漢の男は黙ってただ頷いた。
 駐車場から階段を上って着いたのは女子トイレ。
「あのぉ……覗いたら……ダメですよ。」
 先ほどまでとは打って変わって、恥ずかしそうな態度になるサヤカ。
 気持ち悪い男はサヤカが入る個室の目の前にいることを認めるという条件でトイレをOKしたのだ。
 男は何度も舌なめずりをしていた。
 中に入り、扉を閉めると同時に、サヤカは胃薬を取り出した。
 ふぅ……と深呼吸して高鳴る体を落ち着かせたあと
「きゃあああああああ」
 大声で悲鳴を出し、急いで個室から出る。
 何があったのかと慌てる男に、中を指差す。
 その方向へ目が行った瞬間、サヤカは得意の(?)ハイキックを後頭部へ完璧にいれた。
 男は個室に上手に入り、壁に頭をぶつけて倒れた。
「……死んでないよね。」
 確認したところ、気は失っているが、大丈夫そうだ。
 急いで男の口に胃薬を放り込み、何度か噛ませると綺麗な泡が出てきた。
「よし、完璧!」
 トイレの外にはさっきの大声で人が集まっていた。
「あ、あの、誰か救急車を呼んでください、私はこの人の知り合いを呼んできます!!」
 走ってその場を脱出し、今度はあの巨体の男のところへ。
「はぁはぁ……あの、あの人が急に泡を吹いて倒れたんです!!」
 巨体の男は目を丸くして、サヤカのこなど気にせずに走っていった。
 そして階段を上がったのを確認すると、ここで一息。
 ゆっくりと車の鍵を取り出し、排気口へと詰めておいた。
 時計を確認したところ、7時半を過ぎたところだった。
 一息ついたばかりだったが、多分、これだけでは終わらないだろう。
 今日は普段よりも渋滞が酷い。タクシーを拾ったほうが早いか走ったほうが早いのか。
 サヤカは走り出した。
 少しずつ夜の寒さが出てきたころ、ようやく見慣れた通学路に出た。
 もうあと少し……。
 何事も起こっていないことを祈りながら家の前へと来た。
「うそ……なんで真っ暗なの?」
 いくらなんでもこの時間にまだアヤカが帰っていないというのはおかしい。
 だが、それは普段の話であり、今日は当てはまらない。
「あ、あ、あの男!!!」
 サヤカの拳に力と熱が篭り始めた。
 信じられない。初めてのデートで×××なことするだなんて!
 まだアヤカは高校生なのよ!?
 玄関の扉を開け、急いで電気をつけて受話器を取り、リダイアルボタンを押す。
 4コール目が過ぎたときだった。
「アヤカ!?」
 ガチャッと玄関の扉が開かれ、桜井の声が響いた。
「えっ!?」
「アヤカ……じゃない?」
 互いに驚きの顔を見合わせる。どうやら二人ともこの状況を予想できなかったようだ。
「なんで……あんたがここに?」
「さ、サヤカ……」
 桜井の表情が消沈していくのが分かった。
 ただ、サヤカにはそんなことはどうでもよく、アヤカがいないことだけが重要だった。
「アヤカは……アヤカはどうしたの?」
 桜井はサヤカの問いに応えられなかった。どうしてなのかはサヤカには分かるはずもない。
「ねぇ……ねぇ!?」
「ごめん……」


 日本人が海外で事件に巻き込まれるケースは近年急増している。
 これを手助け及び防止するためのNGOに僕は加盟していた。
 僕が依頼を受けたのは去年の9月頃だった。
 麻薬の密売に、ある日本人が無理矢理手伝わされているという情報が入った。
 そう、君たちのお父さんの榊武男さんだ。
 海外から日本へアタッシュケースの中に入れて運ぶというとてもシンプルなものだった。
 本当なら一度で終わるはずだった。
 だけど、密輸組織に彼の娘である君たちがいることを知られてしまった。
 それからは拒否権を持たない運び屋に成らなければならなかった。
 この事件を解決するには武男さんを助けるだけではなく、アヤカとサヤカの命を守らなければならなかった。
 娘は二人、つまり片方を殺してもまだ脅迫材料がある。
 僕は君たち二人を守るという任務に着いたんだ。


「……本当にアヤカはそこにいるんでしょうね」
「うん、間違いないよ。僕のパートナーが常に奴等を見張っていたから。」
「パートナー?」
「君も信頼できる人物だよ。」
「知ってる人なの?」
 桜井は笑って頷いた。
 二人はタクシーの中にいた。
 目的の場所は歩いてでは普通に行けるような距離にはないのだ。
 大体あと15〜20分あたりで着くらしい。
 それまでは慌ててもしょうがない。ただ、アヤカと父の無事を祈るしかないのだ。

「……ごめんよ。」
「ん、なに?」
「僕らは君たちのことを何も考えていなかったんだ。」
「それって?」
「今日、僕はアヤカを使ってあいつ等を誘き寄せようとしたんだ。」
「はぁ?」
「誤解しないでくれ。僕はたとえ何があっても、アヤカを守るつもりだった。命に代えても。」
「……当たり前のこと言わないでよ!!」
「君たちをここまで巻き込んでしまったのは僕のミスだ。そう、全部。」
「…………」
 サヤカは桜井を追求することは出来なかった。その権利すらもなかった。
 この事件は桜井には何の関係も無かったのだ。
 元々は自分の父が巻き込まれてしまったものなのだ。
 それを自分の所為だと言う桜井は文句どころか、こちらから謝らなければならなかった。
 だけど、これは保留。今は桜井に謝る気分にはなれない。
 そして、二人は互いに罪悪感を持ちながら車を降りた。


 もう……諦めるしかない。
 テレビの画面に映し出されたアヤカを見ると、榊武男はそう思うしかなかった。
 不本意でも自分は犯罪に加担してきた。
 いつかは終わる、解放してくれると思っていた。いや、そう思わないとやっていけなかった。
 今回の取引で、確かに終わるだろう。自分と二人の娘の命と引き換えに。
 麻薬取引を業としている奴等だ。人を殺すことに何の躊躇いなどないだろう。
「ほうら、早く言っちまいな。あれはどこに保管にしてあるんだ?」
 何度言おうと思ったことだろうか。言ってしまえば楽になれる。
 だが、運んできたものはマフィアからの麻薬。
 取引が不成立し、麻薬を全て奪われたということになれば、もちろん命などない。
 それだけならまだいい。発端は自分だ。罰は自分だけ受けるべきだ。
 なのに、どうしてアヤカとサヤカまで巻き込まれなければいけないのだろうか。
 奴等は言った。取引が成功しなかった場合、アヤカとサヤカを殺す、もしくは奴隷として売りに出すと。
 現状は、限りなく失敗に近い。
 もしこのまま保管場所を言わなければアヤカは殺されるだろう。
 言ってしまえば多少時間は延びるものの、世界中どこへ隠れても確実に見つかって殺される。
 どのみち、選択肢なんて無かった。
「どうしてだ……どうしてこんなことを……。」
「はっ」
 周囲にいた男らが見下すように笑い出す。
「良いんだよ。もうお前らんとっからの取引はしねぇからな。」
「そうそう。やっぱ安全で格安のところのほうがいいからな。」
「まっ、どうせオサラバしちまうんだ。最後くらい土産もらってもいいだろうよ。」
「はっはっはっ」
 タバコをふかしながら大声で狂ったように笑う。
 この何人かはすでに中毒者かもしれない。
「ふぅ……あんたも強情だな。」
 男が一人話しかけてきた。
「こっちもな、お前一人にこれ以上時間をかけるわけにはいかんのだよ。」
 そう言い、再び武男にテレビの方を見させた。
 先ほどの状況とは明らかに違っていた。
 アヤカは両手両足を縛られ、気を失っているだけであった。
 しかし、今は目隠しが解かれており、猿轡がはめられていた。
 それに加え、服が破かれ、胸が大きく曝け出されていた。
「お、お前たち……!?」
「さあて、ショータイムの始まりだ。」
 武男は、絶句した。


 完全に縛られ、アヤカは身動きが取れない状態でいた。
 どこかのホテルの一室だろうと思わせる部屋にいるということは分かった。
 そして、誰かに連れ去られて来た事も何とか思い出した。
 アヤカの脳裏に恐怖感が過ぎる。
 縛られ、服が引き裂かれ、周囲にはカメラが設置されている。
「………………」
 必死で逃げる方法を模索した。
 しかし、縄はきつく縛られており、縄抜けの知識のないアヤカには抜けることは不可能であった。
 もがいてはいるものの、縄は緩まない。ただ絶望感だけが強くなっていく。
 ガチャリという音をたてて扉が不意に開かれた。
 外から入ってきたのは上半身裸の小柄の男だった。
「へへへ……よくもさっきはやってくれたなぁ。」
 それはサヤカのハイキックを受けたあの気持ち悪い男だった。
 頭には包帯が巻かれ、怪我の悲惨さを物語っていた。
 もちろんアヤカは初対面なわけだが、男にとっては一緒だ。
 後ろへ後ろへと少しずつさがるアヤカを見つめては舌なめずりをする。
 壁際にまで追い詰めると、顔を近づけ、アヤカの鼻を舐める。
 目をつぶり、拒絶する。
 男はいやらしい手付きでアヤカの肩から手へと撫で下ろす。
 あまりの気持ち悪さにアヤカは悲鳴をあげた。
 だが、猿轡をされている状態では、むしろ相手を欲情させるだけだった。
 男は飢えていた。テーブルの上に置いてあるものを見つけるとすぐさまそれを手に取った。
 アヤカの目の前に透明な液体が入った注射器が出て来た。
 必死で頭を横に振るが、全く気にしてはいない。
 縛られた腕を掴み、液体を出しつつ男を注射器を近づけていったときだった。
 とんとん、と肩を叩かれた。
 自分の玩具に手をかけようと楽しんでいた男は、それが中断されたのか、怒りを露にして振り返った。
「またあったわね〜さようなら。」
 男は間抜けな顔をした。
 どうして榊アヤカが二人もいるのであろうか、と。
 これを理解するには少しばかり時間と頭が無かった。
 笑っていながらも憎しみに満ちた踵落としをこれまた完璧に当たってしまい、天に召された。
「……終わった、何もかも。」
 決めポーズをとり、あさっての方向を見つめるサヤカがそこにいた。


「サヤカ、忘れ物はない?」
「おっけぇ〜。」
「じゃあ鍵かけるね。」
 手に持った小さな鍵できちんと閉め、鞄へとしまう。
「さてと、昨日はいっぱい遊んだことだし、今日も元気よくいこー!」
「もう……全然遊んだ気にならないわよ……。」
 二人は歩き出した。
 見慣れた道を見慣れた人とすれ違いながら、見慣れた人と挨拶をしながら歩く。
 他愛も無いお喋りを楽しみながら、学校へと向かう。
「あ、そうだ。実はね、あたしのところの担任が変わるんだって。」
「ん、なんで?」
「事情が出来て、しばらく帰省しないとだめなんだって。」
「へぇ〜かっこいい人が来たらいいね。」
「アヤカ、浮気?」
「ち、違うわよ!!」
 と、そこへ。
「やあ、おはよう。」
 後ろから追っかけてきたのは桜井だった。
「おはよう」
「ん〜おはよっ」
 あはは、と桜井は頭をかいた。
「昨日はよく眠れた?」
 桜井の質問に、サヤカとアヤカは互いを見、二人でOKのサインを出した。
「それは良かったな。俺は昨日あんまり寝てないんだよ……とほほ。」
「遅くまで続いたの?」
「うん……結構時間かかっちゃって……。」
「実は怒られてたりして。」
 サヤカの鋭い一言に、桜井はギクリとした。
「あはは……かなり。」
「そりゃあ、アヤをあそこまで危ない目にあわしたんだからね〜。」
「うう……それは……ごめん。」
「サヤカ、桜井君がいなかったら、貴方も危なかったかも知れなかったんでしょ!」
「あう……」
 アヤカに怒られ、サヤカはしょんぼりした。
 確かにかなり危なかった。というか、桜井がいなかったら今頃ここには居なかったのかも知れない。
 桜井は囮となって警備を手薄にしてくれた。だから、サヤカでも簡単にあそこまで入ることが出来た。
 アヤカとサヤカはその後、すぐに良いタイミングで脱出した。
 そして桜井はというと、彼のパートナーと、偶然居合わせた潜入捜査官と共に全員を検挙したのだ。
 相手が刃物などの危険物をほとんど所持していなかったのが幸運だった。
 一応高校生ということになっている桜井は警察が来る前にそこから逃げた。
 アヤカ・サヤカの父、武男は不本意であるとしても犯罪に加担していたため、警察に引き渡された。
 密輸は重罪だが、この状況ならば確実に刑は軽くなるだろうのことだ。
 また、この数時間後、関連していた海外の麻薬組織の摘発が行われたらしい。
 あっという間に事件は解決の方へと向かって行ったのだった。
「あ、そうだ。桜井君、昨日はごめんね。」
「ううん、もういいよ。僕が巻き込んでしまったことだから。」
「違うの。昨日のデートのこと。サヤカがこっそり来ちゃったから……。」
 えへっ、と笑うアヤカ。
「そ、そうだね。今度はどこにする?」
「えっと……どこがいいかな?」
「う〜ん、そうだな……。」
 二人のラブラブシーンを見て、サヤカは置いてけぼりにされているような感じがした。
 だけど、そんなことは無かった。
「ほら、サヤカもちゃんと考えなさいよ。」
「ふえ?」
 項垂れているサヤカの様子を見て、アヤカは怒った。
「もう……昨日も言ったじゃない。もう絶対に離れないって。」
「えっ、でも、二人のデートじゃない……。」
「そう、二人よ。桜井君なんておまけおまけ。」
「ええっ!?」
 一生懸命考えていた桜井は痛恨の一撃を受けた。
 逆にサヤカの目は輝いた。
「え〜〜じゃあ、どうしよっかな〜。」
 急にワクワクするサヤカ。微笑むアヤカ。
 隅っこの方で沈む桜井。
「そっか、そうだよな……」
「ん、桜井君、何か言った?」
 桜井は首を横に軽く振って否定した。
 元々、アヤカが僕を好きになったのは、サヤカに対する寂しさだったんだよな。
 それから、サヤカも自分の想いが伝わらなくて、寂しかったんだよな。
 もう絶対に離れない、か。
 桜井は昨日、二人が家でどんなことを話していたのかを想像した。
 互いがそれぞれ考えていた想いを相談している時。
 互いが同じ不安を持っていたことを知った時。
 そして、互いの存在がどれだけ大きいものだったのかを再認識した時。
 二人は双子だ。この絆に入り込む余地など無いのかも知れない。
 この絆を知ったから、二人は強くなったんだ。
「……ふぅ。」
 桜井は空を見上げた。
 取りあえず、この二人をしばらく見守っていきましょうか。
 仕事に戻るのはしばらく御預けだな。
 さてと、僕も意見を出さないと、変なところに旅行行っちゃうかもね。
「ちょっと、何も意見無いの?」
「なぁ、そんなに急いで決めなくてもいいんじゃないか?」
 桜井の一言に、二人は顔を見合わせた。
『行くの、明日だよ?』











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