『Best Smile』


「あれ?」
 うさぎ小屋の前に女の子が1人、ポツンと座り込んでいるのが見えた。
――今日のエサやり当番は信吾じゃなかったかな……
 よく日に焼けた信吾の顔が一瞬、僕の頭をよぎった。
 僕たちは学校の裏庭でうさぎを飼っている。
 名前は『ビビ』。
 エサやり当番の人は、その日の放課後、エサをあげることになっている。
 飼い始めた当時は、みんな休み時間のたびにビビを囲んではしゃぎまわっていた。
 しかし、最近では当番でもないのにビビのところに来るのは、もはや珍しいこととなっていた。


「鈴音ちゃん?」
 2つに結ったおさげ髪を見て、僕は彼女の名前を呼んだ。
 鈴音ちゃんはクラスの中でも、ちょっとおとなしめな女の子だ。
 それがとても女の子っぽく見えて、男子の間ではひそかに人気がある。
 しかし、振り返った彼女の目には、涙があふれていた。
「ど、どうしたの?」
「川原くん……」
 鈴音ちゃんは僕の名前を口にすると、堰を切ったように泣き出してしまった。
――まさか……
 嫌な考えが頭をよぎり、うさぎ小屋の中をのぞくと……
――!!
 そこには不自然な格好で横たわっているビビがいた。
 ビビが元気に跳ね回る姿は、もう二度と見られないだろう。
 そのくらいは小学生の僕でも容易に想像がついた。
 僕は必死で平静を装いながら、まだ泣き止まない鈴音ちゃんの頭をなでてあげた。
「きっとさ、寿命だったんだよ。」
 鈴音ちゃんは涙でいっぱいの目を僕のほうに向けた。
「うさぎってね、人間よりもずっと寿命が短いんだ。」
 鈴音ちゃんはしゃくりあげながらも涙を拭きはじめた。
「ビビはお星様になったんだ。今も空の向こうから鈴音ちゃんのこと、きっと見てるはずだよ。だから、もう泣かないで。」
「まだお星様でてないよ?」
 鈴音ちゃんはまだ明るい空を見上げて言った。
「太陽の光が強すぎてこっちからは見えないだけなんだ。向こうからはきっと見えてるはずだよ。」
「そっか。じゃあ泣いてたら笑われちゃうね。でも、さすが川原くん。何でも知ってるんだね。」
 鈴音ちゃんはようやく笑顔を見せてくれた。
「このままじゃかわいそうだから、お墓つくってあげようか。」
「うん!!」


 僕たちはプールサイドの人通りの少ない所にビビを埋めてあげた。
「これ、ビビに届くかな?」
 最後に鈴音ちゃんはビビが大好きだったニンジンをそっとお供えした。
 僕たちは二人並んで手をあわせた。
――星になったビビは、こんな僕たちの姿を見てどう思っているだろう……
「だいぶ遅くなっちゃったね。」
 西の空に沈みかけている夕日を見て、僕は言った。
 もうほとんどの子が下校してしまったに違いない。
「あっ!!」
 急に鈴音ちゃんが声をあげた。
「今日は早く帰ってお母さんのお手伝いしなきゃいけないんだった!!今日はお父さんの誕生日なの。」
「そっか。じゃあ急いで帰らなきゃね。」
 少し寂しいと思うとともに、少しほっとしている自分がいた。
「ごめんね。それじゃ先に行くね。」
 そう言って鈴音ちゃんは走り出したが、少し行ったところで何かを思い出したかのように立ち止まり、くるりと振り返った。
「今日は本当にありがとう。」
 鈴音ちゃんはペコリと頭をさげた後、ニッコリ笑って手を振った。
 彼女の笑顔は夕日に負けないくらいまぶしかった。
 いや、僕にはまぶしすぎた。
 結局、僕は言えなかった。
 昨日のエサやり当番は僕だったこと。
 それをすっかり忘れて帰ってしまったこと。
 僕は彼女が一番傷つかない言い方を探したのだ。
 僕が何よりも恐れたのは、彼女の笑顔がくもってしまうことだったから。
――神様、僕は悪い子ですか?
 まだ夕日の残っている空で、一番星がキラリと光った。


 僕はこの時、まだ気が付いていなかった。
 確かに鈴音ちゃんの最高の笑顔は守られた。
 しかし、それは自らの最高の笑顔と引き換えだったということに……









あとがき

自分なりに意表をついた結末に仕上げたつもりでいたのですが、しばらくたって読み返してみると、前半部分がすごく単調で退屈な文章になってしまったかなと思います。

みなさんは川原くんがエサやりを忘れて帰ったことを隠したことは良かったことだと思いますか?
それとも悪かったことだと思いますか?






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