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-From 1-

時の跳躍者




彼は裏切られた。
信頼していた友に。
愛していた恋人に。
自分を育ててくれた義母に。
道徳や倫理を教授してくれた先生に。
毎日欠かさずに通っていた学校に。
住み慣れた街に。
そして『世界』に。
日常生活におけるありとあらゆる人間が彼を拒絶した。
今までの関係などを微塵も感じさせず、完全な他人のごとく彼を隔離した。
同情という優しさですら、そこに存在しなかった。
悪意と嫌悪からくる視線は彼の精神を蝕んだ。
当然ながら、彼はそれを安易に受け入れることはできなかった。
彼は必死に抵抗した。だが『世界』は彼の訴えを認めなかった。
『世界』そのものを敵にした彼は独り取り残された。
過ぎ行く『時間』の流れが彼を押し潰していった。

そして、彼の死は確定的なものとなった。

何人たりとも『世界』を敵に回して抗うことなどできない。
『運命』という最強の武器を内包した『世界』に干渉することなどできないのだから。
『世界』が決定した彼の抹消は、『運命』が持つ『時間』という力によって行われた。
『運命』と『時間』どちらも人間が触れることのできない絶対則だ。
それゆえに『世界』は絶対。絶対ゆえに不干渉。
だからこそ彼は『世界』に今、抹殺されようとしている。
彼は『世界』の絶対を崩す存在であるからだ。
そう、彼は『時間』に干渉した。
ほんの数秒ではあるが、あるべき『時間』を消し飛ばした。
『時間』に干渉できる『運命』など、もはやそれは『運命』であらず。
最大の武器たる『運命』を使えない『世界』など、それは無力な存在でしかない。
彼の、一刻も早い抹消が求められた。
『世界』は『運命』を使い、彼に関わる全ての人間を操作した。
個人では到底気づくことなどできないその大規模な意識操作は完璧だった。
もし『世界』を客観的に見ることのできる存在があれば、まず感服したであろう。
全ての人間の運命を操作した上で『時間』を高速で進めれば、彼の命などすぐに消えるのだから。
無論、『時間』を高速に進めること自体が『世界』にとってはかなりの無理があるのだが、そんなことを気にしているどころではない。
全ては普遍性の維持のため。
刻々と迫る彼の死を、『世界』は冷静に待った。
『運命』が算出する彼の命は残り数十秒となった。
これで普遍性は維持された。
もはや『時間』に干渉できたとしても、問題にはならない。
いかに『時間』を消し飛ばしたところで彼の死は干渉終了後にやってくる。
数秒の干渉程度ならば何の支障は出ない。
すでに彼の人間関係は破綻させてある。
他の人間に対して、『時間』へのたった数秒の干渉に効果があるとは考えられない。
通常の『時間』の流れであれば残り十時間以上もあるが、現在の高速状態では残り数秒だ。
彼の死を『世界』は笑みを浮かべながら見つめた。
『運命』の指す彼の死までの時間は……零の数値を示した。

瞬間―――彼は笑った。

『世界』は凍りついた。
そして自らが強い力で干渉されているのを感じた。
次々と『運命』が示す彼の死までの『時間』が増えていく。
いや、増えているのではない。戻っているのだ。
やがて『運命』は最初に彼の死までの『時間』を示した数値を超えると同時にその値を途切れさせた。
それと平行して全ては逆行していた。
『世界』が記録した物事は次々白紙に戻される。
『運命』が操作した人々の因果も元に戻される。

『時間』は戻された。
唯一彼を除いて。





著者:QUINCEさん






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